![]() |
-その12- 今野 澄玲(我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課) |
|||
| 1.はじめに ●布佐には布佐と布佐台の二か所に観音堂があります。二つの観音堂で祀られているのは馬頭観音です。 ●馬頭観音は他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相です。このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて、すべての観音の憤怒身と位置付けられることもあります。また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られ、さらには、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされています。 ●自動車や鉄道が日本にもたらされる前、交通や流通は人力や馬に頼っており、大量の物品を輸送する際は船を使いました。この地に馬頭観音が祀られているのは、ここが交通や流通の要所であることを示しています。 2.交通の要所「布佐河岸」 ●以前、布佐八景についてお話しした時、「利根川の東遷事業」についてご紹介しました。利根川の流路を常陸川(ひたちがわ)と合流するよう変えたことで、利根川の水が常陸川に加わり水量が増し、大型船の往来が可能となり、銚子で水揚げした魚を船で江戸へと運ぶ運輸ルートが開発されました。 ●この開発されたルートをご紹介しましょう。まず、銚子・鹿島灘(かしまなだ)で水揚げされた鮮魚は通常、利根川を使って関宿まで遡り、そこから江戸川→新川→小名木川(おなぎがわ)→日本橋と船を使って運ばれます。イメージとしてはチーバくんの耳から鼻筋を通って鼻先へ、そこからお腹の方まで川を使って下って行きます。しかし、冬季になると、利根川の水が減少します。そこで、江戸幕府公認の河岸であった木下河岸で荷揚げをして馬で木下街道を使って行徳に行き、行徳から江戸へと船で運ばれました。しかし、このルートには問題があって、馬一疋で行徳に行くには遠すぎるため、途中で違う馬に荷物を載せ替える必要がありました。 ●そこで開発されたのが布佐河岸から松戸河岸まで行くルートです。木下河岸から行徳へ行くルートよりも距離が短いため同じ馬で荷物を運べることが最大の利点でした。 ●この結果、載せ替え時に発生する荷物の破損の危険性を減らす、ルートが短く荷物の載せ替えも不要なことから時間も短縮することができました。しかし!今まで馬の載せ替えで利益を得ていた地域もありました。そのような村々が布佐河岸で荷揚げをして松戸河岸に運ぶことに異を唱えます。 ●結果としては、幕府公認の河岸である木下河岸を運輸には使うこと、ただし、魚などの新鮮さが大切な品物に関しては、布佐河岸から松戸河岸のルートを許可するとの判決になりました。 ![]() ■もどる |
3.3. 嗅覚を感じる「布佐河岸」 ●突然ですが、歴史について調べているとき「匂い」を想像したことはありますか?たいていの方は、過去の絵を見たり、写真を見たりして、当時はこんな風景だったのかなと想像したことがあるかと思います。私自身も「匂い」を想像することはまれなことです。 ●これは、「匂い」を連想させる文章が少ないからかと思います。そんな中で、布佐河岸の「匂い」を想像させる松尾芭蕉の文章があります。『奥の細道』で有名な松尾芭蕉は貞享(じょうきょう)4年(1687)8月14日、名月を見るため、門人曾良(そら)・宗波(そうは)を伴い鹿島、潮来(いたこ)方面へでかけた旅を『鹿島紀行』として認めます。このなかで「日既(すで)に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此(この)川にて、鮭の網代(あじろ)といふものをたくみて、武江の市(ぶこうのいち)にひさぐもの有。よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さしくだして、かしまにいたる。」とあります。芭蕉は一晩布佐に泊まろうとしますが、あまりの生臭さに先を急いだようです。 ●このことからも、大量の魚が集まり、河岸として機能し、鮮魚(なま)街道を使ってたくさんの馬の往来があったことが窺えます。当時はアスファルトではなく、舗装されていない道でした。埃っぽい感じもあったかもしれません。我孫子の様子は杉村楚人冠、志賀直哉などたくさんの作家によって書かれていますが、リアルな生活感を感じる描写が江戸時代から書かれていたことに感動した覚えがあります。 4.布佐観音堂 ●布佐観音堂は東日本大震災の影響で建物の維持が困難になり、令和6年に取り壊されました。しかし、観音堂の跡は残っています。あわせて、同じ布佐のご縁から布佐観音堂に安置されていた馬頭観音像は延命寺に遷座することとなりました。 ●このことについて、令和7年度に文化財報告書を刊行しましたので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ●現在の布佐観音堂跡に立つと手賀沼方面に向けてまっすぐ伸びる道がまだ残っています。この道を往来した人や馬、堤防に立つと行き交う高瀬舟、往時の布佐の繁栄が呼び起されます。
|
|||