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-その13- 今野 澄玲(我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課) |
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| 1.はじめに 布佐延命寺 ●明治期の『寺院明細帳』に記載される寺伝によれば、延命寺は文禄2(1593)年3月の創建で、開山は忠変僧都と言われています。寛永7(1630)年の検地記録や翌8年起草の過去帳が存在するため17世紀半ば以前に同寺が建立されていたことは確かです。宝暦12(1762)年には伽藍は虚空蔵堂、観音堂、客殿、庫裡、惣門があったことがわかり、大きなお寺だったことがわかります。その後、安永3(1774)年に再度火災に遭い、虚空蔵堂・釈迦堂が焼失しましたが像は救出されたと伝えられ、天明3(1774)年に虚空蔵堂は再建されています。しかし明治37(1904)年4月23日の布佐の大火で虚空蔵堂は類焼し、さらに関東大震災による工事中の倒壊を経て、昭和8(1933)年に現在のお堂が建立され、一方、現在の本堂は明治15(1882)年建立の薬師堂を前身とし昭和61(1986)年に改築落慶しました。 ●この延命寺に安置されている虚空蔵菩薩坐像2躯、薬師如来坐像、木造如来坐像の計4躯が我孫子市の指定文化財になりました。 2.虚空蔵菩薩坐像 ●延命寺は幾度となく罹災していますが、その度に復興して現在に至っていることは、創建から現在まで絶え間なく信仰を集めてきたことを示します。そしてその信仰の中心を占めていたのが虚空蔵菩薩信仰といわれています。 ●虚空蔵菩薩は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子、大明星天王とも呼ばれ、また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれています。虚空蔵信仰として人々の暮らしと密接に関わっている行為としては、丑寅年の守り本尊であること、十三参り行事があること、鰻を食すことの禁忌などが挙げられます。 ●十三参りとは、13歳になった男女が厄落とし、開運、知恵授け、福もらいのために虚空蔵寺院に参る行事ですが、現時点で我孫子市内で行事が行われた記録は確認できていません。
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●我孫子市は手賀沼・利根川があり、古くから鰻の漁を行っていました。明治から昭和にかけて記者として活躍した杉村楚人冠も自身の随筆『湖畔吟』で手賀沼の鰻は「口細」と称して重用されていたと書いてあることからも、鰻が我孫子の人々の生活に密接に関わっていることがわかります。また、手賀沼漁業組合長であった深山正巳が聞き取りで「(手賀沼で)大洪水があった時には米は穫れません。しかし驚くほどの、それは見事なウナギがたくさん捕れるのでした。田んぼが冠水すると山すその木に張り綱の片方を固定し、沖に向かってずーっと網を張りますと、これにウナギがたくさん捕れるのです。さっぱ舟という舟が満杯になるほど捕れたものでした。」と話していることから、洪水と鰻が関わっていたことがわかります。また、延命寺にはかつて捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である放生会をするための池があり、眼病治癒した際は鰻を池に放したと聞きます。そして、延命寺の本尊である薬師如来は眼病の神様と言われ、明治から大正期、延命寺では目薬を売っており、虚空蔵信仰と薬師信仰が布佐周辺の人々に受け入れられていた様子がわかります。 3.おわりに ●延命寺の創建を考えると「利根川の東遷事業」の影響があったと考えられます。もともと台地に住んでいた人々は、利根川の東遷事業により水運業ができるようになり、このことで河岸がつくられ、人が集まります。その結果、住人を把握する必要がでてきました。そこで当時の戸籍制度であった「寺請制度」によって、延命寺は布佐の人々の生活にとって欠かせない存在になりました。その後も付近で鰻が捕れたことも関係し虚空蔵信仰が生まれ、多くの人々に広まりました。しかし、時代は移り変わり利根川にも近代的な堤防が建設され、かつての布佐河岸の様相は失われつつあります。けれども延命寺では観音堂の馬頭観音を「布佐にあることが必要な文化財」として保管しています。また、延命寺が布佐を中心とした民間信仰の中心であったことを示す仏像群を所有しています。このことからも、今でも地域の歴史を次世代に引き継ぐ存在になっています。なお、お寺をお参りする場合は、予め延命寺さんにご相談下さい。
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| 【 第26回 定期総会 開催報告 】 | |||||
| ●令和8年(2026)5月16日(土)、第26回定期総会が開催され、出席21名、委任状11名で総会が成立。令和7年度活動報告、決算報告、監査報告及び令和8年度活動計画、予算案、役員人事案の各議案が全会一致で承認された。 | ●役員人事では、中塚和枝さんが会長を退任、新たに会長に三上真弓さん、副会長に堀茂幸さん、上平充子さん。 ●山中誠さんが新幹事・会計、監査は高橋哲生さんの退任に伴い飯田俊二さんが新任、宮内昭男さんが幹事を退任された。 |
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