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-その14- 今野 澄玲(我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課) |
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| 1.はじめに 布佐延命寺 ●我孫子市は「鳥の博物館」があり、手賀沼ではむかしから鳥猟が行われ、その鳥猟の取材に来た朝日新聞社の記者であった杉村楚人冠は、手賀沼の景観、我孫子の自然に惹かれこの地にやってきました。我孫子は鳥に縁があるのだとしみじみ感じます。楚人冠が我孫子に来たきっかけの鳥猟の取材を紹介するとき、「其の折往復ともに汽車の窓から眺めた手賀沼湖畔の景色が如何にも面白う覚え」と、手賀沼の景観に興味を持ったことが紹介されますが、続いて「湖北停車場の辺の小さな丘陵が彼方此方に起伏した所や、折からの黄葉紅葉が常葉まじりにとりどり林を色どった様が、平生平板な武蔵野ばかり見つけた僕の興をひいた。」とあります。このことから、楚人冠は豊かな地形、我孫子そのものが気に入ったのではないでしょうか。その我孫子の地形を地図や空中写真を見て考えるのが今回のテーマです。。 2.空からの写真 ●空中写真の歴史はご想像のとおり、そんなに古くありません。世界最初の空中写真は、フランス人写真家・気球研究家のナダールにより1858年にパリ上空の気球から撮影されました。日本では明治10(1877)年、西南戦争の際に偵察を目的として気球から撮影が試みられたのが初の空中写真撮影とされています。「西南戦争」という言葉から見ても分かるように地理・地形は戦略上非常に重要なものであり、当初、上空から周辺を撮影することは軍事目的で使われることが多くありました。また、飛行機を所有しているのが軍であったことも理由の一つです。時代の経過とともに、関東大震災の被害状況の確認や都市計画などにも役立つことになります。写真から地質・水質・植生などさまざまなデータを読み解くことができます。 ●では、我孫子に残る空中写真(写真)を見てみると、昭和3(1928)年9月23日の楚人冠が書いた日記には、「飛行機−社の飛行機宅の上空をとびまはりて写真をとる」とあります。この写真が楚人冠全集『湖畔吟』の巻頭にある「白馬城見取図」と考えられます。朝日新聞社の飛行機が楚人冠邸の上空で写真撮影をしたことがわかります。 ●同じように以前「理想的な郊外住宅(2)」でご紹介した柳田国男の写真絵葉書でも柳田の住宅付近が上空から撮影されています。こちらは楚人冠が言う「武蔵野」の地形になっています。 |
●それでは、柳田の絵葉書にある平坦な地形が写し出されている写真と今日の写真を見比べてみましょう。写真を見ると楚人冠邸は木々に囲まれており、少し離れている右上の丸い丘は楚人冠公園でしょうか。そのまま視線を左に移すと田んぼが左側へと入り組み、田んぼを挟む形で丘陵があることがわかります。この丘は志賀直哉が住んだ「弁天山」です。中央の田んぼに向かって落ち込んでいることがわかり、これは現在の地形と一致します。視線を写真の上部に移すと、アビスタ付近は手賀沼と田んぼの境辺りであったことがわかります。白黒の写真ですが、地図ではわかりにくい高低差や植栽、水辺の様子を見ることができます。 ●その他の空中写真については国土地理院が提供しており、インターネット上で気軽に見ることができます。我孫子市内では一番古いもので昭和16(1941)年、陸軍が撮影したものになります。撮影された場所は柴崎付近です。この写真を見ると、我孫子第一小学校から分かれる水戸道中がいまよりはっきりわかります。我孫子市全域になると昭和21年を中心にアメリカ軍によって撮影されたものがあります。我孫子周辺の空中写真を見ると、根戸城周辺の宅地化が進んできている白山1丁目付近や、ハケの道が田んぼ道として根戸から東に向かって延びていたことがわかります。 3.空からの風景 ●我孫子市内で空から眺める景色を見られる場所としておすすめしたいのがけやきプラザです。けやきプラザからは手賀沼までの高低差や台地の様子がわかり、我孫子の地形を体感できるスポットです。「馬の背」のような地形と言われる我孫子市ですが、この場所に立つと確かに台地が中央に位置していると感じます。我孫子市は見渡せる建物が少ないので、街歩きの際などにはじめに全容を紹介するのにとっておきの場所になっています。 ●以前は軍事的な目的から機密となっていた空中写真はGoogleマップなどで簡単に調べることができるようになりました。平和になった証なのかもしれません。現在の空中写真を見て、現地に行って体験すると、今度は過去の空中写真を見たとき、経験をもとにして、いままで気づかなかった景色を見ることができるかもしれません。いつもとは違う視点で、楽しい街歩きの方法を探してみてください。 |
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| 楚人冠全集『湖畔吟』より | ||
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