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●「城址が新住宅地 我孫子は開け行く運命を握る」、國民新聞大正5年2月17日(第8622号)の見出しです。 ●町の北端から西にはいると、字城山と称する十数町歩(一町は十反、99アール)の丘があります。天正の頃千葉の里見家に属した我孫子五郎左衛門の居城址であり、大正時代はすでに私有地となっていました。千本松が清々しく、昔ながらの間道が浅い渓谷のようになって、いたるところに天然の庭をつくっていました。 ●城山城址のあしもとは、西にひらけた水田を隔てて利根の堤防に達し、河流を上下する白帆の悠々たる影は、この地で最も秀でた景観でした。城山の北に連なる稲荷峠(とうかびょう)もまた好適の住宅地です。冬季、利根川に集まる幾千万の鴨の群れが嵐の如き羽音を立てて舞い立つとき、付近の丘に高く掲げられた鴨網を引いて捕獲する鴨猟の様子は、他では見られぬ壮観な眺めでした。そして夏は、利根河畔において水泳をする楽しみがありました。 ●城山の我孫子城については、歴史書によると、北条氏が里見氏を破った勢いで天正18年陥落されたとあります。幾多の時代的哀史が残っているこの城址が、600余年経た大正の時代に郊外の新住宅地となったことに、本記事の筆者は、「一種の感慨なき能わぬ。松風は蕭々として何を語るのであるか」と記しています。 ●我孫子の町には社寺が多くあります。興陽寺、大光寺、延壽院、香取神社、八坂神社、天子社、城山権現、子の将神で、いずれも境内には松、杉があり、桜、桃があって、神韻と閑寂の気があります。散策に大変適しています。 ●我孫子に生まれて我孫子に住宅を有し、日々東京に通勤していた飯泉賢二氏は、東京人によって住宅地として開発された我孫子の新しい運命を喜び、「東京へ通うに決して不便を感じませぬ」と話したそうです。 |
●「手賀沼の蜃気楼 遊楽の天地が沢山ある」、大正5 年2月18日(第8623号)の見出しです。我孫子は新住宅地として最適なだけでなく、遊楽的気分をも有した土地です。 ●陽春の頃、松林のいたるところに沢山の蕨が出ます。白山付近の鈴木六之丞氏の松林は有名な蕨の地です。子の神の森も同様です。秋になれば初茸がたくさん出ます。松露は丘の小松の間におもしろいほど見つけることが出来ます。 ●世間にはあまり知られていませんが、手賀沼には蜃気楼が現れます。土地の人は時として、沼の彼方に、楼閣や城壁や人馬・森の絵のような不可思議なる影をありありと眺めるのです。手賀沼の蜃気楼は、その沼に映る「倒さ富士」以上に、神秘的なる名物です。また、コイやフナの漁獲法もおもしろい沼の風物です。 ●住宅を湖畔にという人が増えて来たこの当時、小さな快走船(ヨット)を拵えて沼に浮かべようとする者もいました。東京から遊びに来る人が出来れば遊覧船の経営をやってみたいという人もいました。 ●旅館は角松と言って先帝の行在所になったところがあります。静かな遊び場所として、将来我孫子はおおいに発展するものと期待されていました。 ●これを以って「國民新聞」の記事の紹介を終わります。我孫子には、人の心を癒す自然、そして旧い建物があります。自然はいったん壊すともはや元には戻りません。旧い建物を壊して新しいものに造り替えるということだけは避けねばなりません。旧いものを残しつつ、より良く改善する知恵と技術を学ぶことが大切ではないかと思いました。ご愛読ありがとうございました。 |
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