庭園公開を考える      富樫道広(会員)
去る11月22日、日立総合研修所の庭園をまた公開していただいた。今回で3回目になる。研修所の方々には社長をはじめ、皆さんに一方ならぬご厚情をいただきお礼の言葉もない。

しかし回を重ねていくと、主催者の思惑や、期待と異なる反応がアンケートを通じて現れてくる。これからこれを修正して導線を変えた方がいいのか、このまま貫き通すのがいいのか、少々議論が必要になってきたようである。

主催者として、我孫子の美しい斜面林にある庭園に、多くの市民に来てもらい、ただ見物するだけでなく、100年前の心象風景にひたってもらい、今尚美しい新緑の春や、紅葉の秋に共感をしてもらいたかった。更に、単なる庭園としてだけでなく、我孫子の誇る、斜面林にあって、そこから見える借景を含めた公園のような空間を、心の癒し場所にしてもらいたいのである。

関島社長の話の中に、「浩然の気を養う」という言葉があった。良い研究、勉強には必要欠くべからざる環境がここである。
アンケートを見ると、初めての来場者が殆どで、2回、3回目という人はほんの僅か。
美しい風景は、人聞の身も心も癒す。庭の見物だけでなく、公園の効用も享受してもらいたかった。一般に公園は、公共財として都市にはなくてはならぬもの。都市の喧騒から離れて、安らぎを求める人々のためのものである。人間の身体にたとえれば肺の役割をするもので、汚れた空気を浄化するようなものである。

そんな考え方からすれば、庭園には20分、30分とはいわずに、1時間もいて欲しいと考えていた。竹林の前のベンチに座ってもらい、あるいは松林の間に生えるシダ類や植物などを見てもらいたかったのである。

風景は毎日変化する。同じ場所でも今日と明日では色も形も連う。常に新しい発見が楽しいのである。市民の皆さんに愛される風景とは、1回訪れたら御用済みというのではいかにも寂しいと言わざるをえない。我孫子の風景を愛してくださるのなら、同じ場所に何回でも来て欲しいのである。

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