第10号 2004.3.20発行
庭園公開の目指すところ 富樫 道広(会員)
「我孫子の景観を育てる会」として、ここ足かけ3年になるが、日立の庭園や、ゴルフ場の市民公開の行事をやってきた。我々の景観に対する思いを、市民の前に具現した行動になると思う。昨年はこれが千葉県の「市民活動元気つくり」の中に加えられ評価された。
回を重ねるうちに考えるのは、私的な財産を一般市民に公開するという仕事は、簡単なようだが、複雑な問題が相互に交錯する。これからこのまま同じ方向に展開することが許されるのだろうか。改めて検討をしなければならないステージに来たように思う。ここで整理して考えてみるのも無意味ではあるまい。

古くから、先祖より受け継いだ、大事に守ってきた、山林や庭、家屋などを、限られた時間ではあっても、多くの市民のために公開、招きいれることは、かなりの覚悟が必要だ。単に、管理費や固定資産税のことだけではなく、いろいろな側面からの防備が準備されなければならない。
都市内で広い私有地を管理するのには多くの困難が顕在化している。特に、首都圏のスプロール開発途上にある我孫子では、斜面林の破壊が止まらない。相続税や、固定資産税などの圧力と、維持、管理の面から周囲の住民への配慮の必要などが引き金になる。それまでして維持しても、何時目の前に巨大ビルが出現する恐怖もある。

土地利用の側面から、経済価値を極大化するのがいいのであれば、適切な機会に手放すのが得策ということになる。そんな文脈が景観を破壊してきたことになる。それを放置していたのでは我々の存在意義もうすれてしまうだろう。
都市計画法や建築基準法、相続税や固定資産税という国をあげての景観破壊に、どうしても我々は挑戦しなければならない宿命にある。何ともイラクで戦争をするような気持ちにもなるのだが、これを保護するのに、行政に買収を依頼する安易な方法では、将来の管理、隣接の土地利用の方策を想像するに、決して最良の策とは思えない。
人口の集中する都市は、必然的に自然は破壊される。西欧に発達した公園の思想は、そのような自然破壊の中で、少しでも人間に潤いを提供できる場所として、人体にたとえれば「肺」の役目、汚れた空気を浄化してきれいにする機能を担っている。
物理的な空気や空間だけでなく、人の心を癒す機能をも備えている。
   幸い、私たちの住む我孫子は、都市には稀な、「手が沼」という自然公園に恵まれている。またこれが我孫子の景観の源泉でもある。これをどう維持するかが我々現代の世代に課された大問題なのである。

昨年秋、日立の庭園公開の日、研修所の1室をお借りして、同じ立場にある3人の方々に出席していただき、公開座談会をした。感銘を受けたのは、誰一人として、経済価値に固執したり、空間を独り占めにしたいと思う人のなかったことである。出来る事なら何時までもここに住みたいとか、皆さんが必要と認めてくれるのなら、何時までも維持していきたいという熱い思いであった。こんなすばらしい人たちと一緒に住める我孫子の市民は幸せものである。
結論を急げば、これまで日立や、ゴルフ場と、点で終ったものを、線で結べば、南は根戸城祉から三樹荘、日立、ゴルフ場。それから北に廻り、岡発戸の谷津、そして、下ヶ戸の森に続けば我孫子の大公園都市を案内できる。
100年も前、ロンドンでハワードが計画して出来なかった田園都市が、ここ我孫子で再現できたらすばらしいことだろう。しかし夢でもあるまい。
公園は、経済学では公共財という。誰のものでもない。皆のものである。この庭園公開は、一時的にせよ私的財を公共財に借用、転用させてもらったことになる。
相続税や固定資産税などから開放されて、安心して公開できる仕組みをつくることを研究することも私たちの「景観を育てる会」の仕事になるのだろう。

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