優しい風習がつくるウイーンの景観
梅津一晴(会員)

私は5月の末に息子家族の居るウィーンを訪ねました。10日余りの滞在でしたが、ウィーンの景観を独断と偏見で述べてみます。

ウィーンは歴史景観を配慮した大変落ち着いた美しい街です。首都であり、人口154万人の芸術文化都市です。
中心街に入るには市街電車、郊外電車、バスもあります。共通回数券を使用すると1日300円程度で乗換自由・乗り放題が出来ます。マイカーも走っていますが渋滞はありません。デイーゼルカーが多いのですが黒い煙は出さないので気分が良いです。日本でも可能なはずなのに不思議に感じました。

街並は伝統のあるアパート形式ですが、裏庭は1階用と2階以上共用の2種があって建物敷地の2倍もあります。樹長10数mもあるモミノキ、マロニエ、プラタナスなどの大樹木が繁り、小鳥が甲高く囀っています。ウィーンの森の丘から街を見ると、高さの揃った家並みはその大樹木の緑が目に入るために混雑さがありません。

色彩の好みは生活環境から影響されるのでしょう。彼らは日本とは違った緑のモスグリーンを好み、屋根の色から看板のバックカラー、帽子、コートに至る生活の中に入り込んでいます。樹木の緑が灰白色の入ったモスグリーンなのです。この色のコートを着たご婦人はとてもシックでした。この色は日本の絵具屋さんでは手に入りません。

公共の場では人に親切で気遣いがあります。それは人々のチョッとした親しみのある仕草の中に感じます。車の運転でも人や自転車に親切で、横断歩道でなくても止めてくれます。警笛は殆ど鳴らしません。人との付き合いの仕方をおそらくあらゆる機会に訓練されているのでしょうか。そうした人間関係は商売関係にもあり、日本の、お客様は神様式の主従関係はありません。商品の包装その他の過剰サービスはありません。その為でしょうか街並にビニィール袋、包装紙といった塵は見当りません。
広告は店のある1,2階の窓と壁を利用した簡単明瞭で鮮やかなデザインが多いです。焼却場は街の中心部にあります。煙突はウィーンで有名な芸術家フンデントバッサーのデザインです。ザルツブルグで気が付いたのですが、それは教会の屋根にある尖塔をそのままデザインしたものでした。

変わったものでは、不用になった6基のガスタンクが大窓をつけ模様替えして、スーパーと特設会場に変わっていました。近くの駅には、そこで行なわれる音楽祭のポスターが張ってありました。

新ドナウ川は直線的で、我孫子の利根川のように町外れを流れる清流の大河でした。郊外の古ドナウは蛇行が湖になって残っています。湖水の透明度は3mもありそうです。休日はお客があるのでしょうか、綺麗にペンキが塗られた赤青黄色のボートやヨットが繋累されていました。

中世城郭都市のウィーンが大きく変貌するのは城壁が撤去された1865年に始まります。この一大都市改造計画は、『皇帝フランツ・ヨーゼフ一世』の命によったものです。
ウィーンの森は19世紀末に売却処分の契約が結ばれ、法律まで制定されて消滅の危機に曝されましたが、『市民の反対運動』で法律が無効となりました。1905年には「森・草原ベルト保全地域」が策定されました。こうして現在のウィーンの森は残ったのです。

現在の日本は開発が常に進行しています。我孫子が直面する斜面林・利根川・手賀沼沿いの緑地保全問題は、市民の意向に配慮した企業・官・民の合意が望まれます。
このウィーンの市民活動の事例は参考にしたいものです。



投稿歓迎

当会の景観を育てる活動への提言、助言、ご意見をお待ちしております。
あて先  清水
     FAX  04-7182-9041まで

■もどる