第14号 2005.4.4発行
【旧村川別荘の活用を考える】 今川 俊一(会員)

《村川別荘とは》

平寿の子の神神社脇にある旧村川別荘は、ご存知の通り、わが国を代表する西洋史の大家である、帝国大学の教授であった村川堅固・堅太郎父子が建てられ、避暑や学生のゼミとして使われた建物です。

過去にも我孫子市史研究で村川堅太郎氏が鼎談の中で紹介されておられたり、現在もガイドクラブ、郷土史研究家の方々によって詳しく解説をされているところなので、ここでは詳細を省きます。

しかし、訪れるたびに、当時にあって、すでに我孫子宿本陣で使われなくなった建物を譲り受けて移築を行っていたセンスや、自らの朝鮮行にデザインのインスピレーションを得つつ別送の中にゼミや会議としての機能性も兼ね備えた新館など、まさに歴史家としての生き様がその環境づくりに活かされた場所であったことを感じる場所です。旧志賀直哉邸などと同様、現在は失われている手賀沼への眺望についても、想像をかきたてられることは言うまでもありません。

《現在の活用状況と今後への提案》
さて、この別荘は、村川家の方をはじめ、多くの方々の保存への要望と努力により、市によって取得され、現在は、水・土・日の週3日間公開されています。(シルバー人材センターの方々が園内の管理等を行いながら見学等の応対を行って下さっています。)

しかし、景観を育てる会でも、これだけの環境・資源なので、もっと活かすことができるのではないか、ということを話し合ってきました。日立研修所などでの庭園公開の取り組みの中で学んできたノウハウを活かしてこれから以下のような視点を持って村川邸の活用に参加していけたらいいのではないでしょうか。

《旧村川別荘でもっとできること》

一つは、公開の時間です。村川別荘は、建物がしっかりと残り、かつ一般の人にも公開されている、市内でも貴重な場所です。せっかく我孫子を見学に来て、見ることができなかったということが少しでもなくなるように、閉館されている月火・木金などに、ボランティアによる受付等を置いて開館することができるといいのではないでしょうか。

もう一つは、「村川学」というか、この建物を作り、使われた「村川父子」をもう一度掘り起こして、単に開放するだけではなく、もっと「積極的に」活用するということです。例えば、村川堅固・堅太郎氏の研究内容・我孫子での暮らしを少しずつ、継続的に展示したり、市内外の村川家ゆかりの方々にお話しを聞いてみることが考えられます。また、村川氏は東京・目白台の本宅と、湘南鵠沼・我孫子の二つの別荘を持っておられたことから、そうした他の村川邸(あるいは邸跡)のまち・人との交流なども、「我孫子の」村川別荘を見直す一つの方法ではないでしょうか。

最後に、やはり活用の仕方なのですが、市民の参加とあわせて、「自ら維持費を稼ぐ」文化財という視点も少しずつ実験できたら、という期待をしています。これからの文化財の維持は、行政の負担ばかりでは続かない(そして、増えない)のではないでしょうか。市民ボランティアが、自分の喜びとして、文化財の維持に協力することも維持費を節約する一つの方法ですし、さらに加えて、イベントや喫茶など、来訪者にも喜んでもらえるサービスによってわずかでも文化財自体の維持費が潤うという方法が考えられるでしょう。

たしかに「貴重な文化財の建物で、、」という心配もありますが、東京都が西洋邸宅(旧小笠原伯爵邸)を民間に貸し出してレストランとして活用している例や、愛知県の半田市では、地元商業者の組織(TMO)が個人所有の重要文化財を借り受けて紅茶専門館を運営している例など、少しずつそうした試みが増えています。旧村川別荘は手賀沼沿いの散策ルートにあり、休憩ポイントとして重要な場所ですし、近隣のコーヒー店や近所の人たちによって、飲み物やお菓子の提供などができれば、無理なく少しずつはじめられるのではないでしょうか。

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