景観を育てる実践―三樹会   富樫 道廣(会員)
 「我孫子の景観を育てる会」が発足して5年が過ぎた。ふり返れば無我夢中で走った5年の感じがする。

 我孫子に限らず、日本の景観は劣悪だと酷評され、欧米の旅行帰りの人達には比較するのも恥かしいなどといわれる始末。一帯何が原因でそうなったのかを議論もしてきた。

 国民総意の経済優先の政策とか、市民の価値相対主義的な風土のための、主観的な、無秩序な建物の出現を容認した結果だとか、どうにも結論の出る見込のないことばかり。

 それでも最近になって、「景観法」という新しい法律が施行されることによって、違った展開も期待できそうにもなってきた。これまで法的な背景をもたない、自治体独自でつくった条例にしかたよれなかった景観が、上部構造の法律のもとに、景観計画の違反者に刑罰を課すことが可能になったからである。

 景観はただ眺めて、いいの、悪いのと議論をしただけで良くなるものではない。また、行政の政策を待って期待しても限界がある。地域に住む市民として何か行動を起こしたいものと私たちは試行錯誤をくり返してきた。

 汗を流して育てる景観があってもいい。私たちは満を持して、かねてより話をして来た三樹荘の村山さんに庭園と、天神坂の清掃を申し入れた。三樹荘と、旧嘉納治五郎邸との間の天神坂は、何年か前の景観称にかがやいてもいる。

 庭園の維持管理の難しさは、機会のある度に村山さんからは聞いていた。私たちもこれまで何回かの庭園公開事業を主催してみて、その御苦労を身をもって、肌で感じとったことが引き金にもなったようである。

 私たちの申し出に、当主の村山さんは、大手をあげて歓迎してくださり、やるからには、年間2千人の訪問客にも満足してもらえるよう、細くとも長く続けて欲しいという御希望もいただいた。

 今年3月の中ば、昨年、日立研修所の庭園公開の際に募った協力希望者の中から、比較的三樹荘に近い方々に声をかけ、15〜6人でスタートすることにした。名づけて「三樹荘」。

 細く長くをモットーに、一回4〜5人のグループを作り、週一回、これまで、(5月)10回ぐらいになるが、順調に推移している。
 新緑の春は、落ち葉は少ないものと思っていたが、シイやカシなどの照葉樹は端境期になるらしく、青いままの落葉がハイても、ハイても落ちてくる。この時期、我孫子の斜面林帯は大変な落葉の量になることを初めて知らされた。

 市役所の公園緑地課にお願いして、竹ぼうきや、ゴミの回収具を用意してもらい、袋づめした落葉はある程度の量になると回収してもらう仕組みもできた。

 外から見ただけではそれほどの広さにも見えない庭園、天神坂だったが、いざ作業をしてみると、仲々骨である。どうして、どうして、大の男が3〜4人かかっても1時間以上もかかってしまう。

 グループの中には女性も多く、ご夫婦での参加も目立つ。手伝ってもらって、村山さんご自慢のあづま屋、「あすなろ亭」のいろりの鉄ビンでお湯をわかし、お茶をいただく。掃き清められた庭をながめての一服はまた格別なもので、三本のシイの大木の下、手賀沼を見下ろしていると、90年の時間はスリップして、自分も白樺の文人になった錯覚である。

 92才になって益々お元気な御当主、村山先生の昔話を聞くにつけ、何十年もの間、お一人でこの緑を守ってこられたことは、御家族の皆様の御苦労を合わせてただ頭の下がる思いである。このような緑を眺めることが出来るのは、我孫子の市民の幸せと感謝しなければなるまい。

 いい景観は、そこに住人によって創られていく。人は必ず自然に住みつく。人は自然を勝手に改良していく。樹林の間に、山並みを背に、水辺の自然に家を建て、道を造る。それが自然と計画的に調和して、なじみ合い、維持、管理されることによってはじめていい景観として光かがやくのである。

 人の住まない自然だけがいい景観だとは限らないし、いくら保護区と指定してあっても、何の手入れもしなければ荒れた山野になってしまう。

 この度、三樹荘、天神坂のグループを新たにつくって掃除をはじめたことは、景観を育てるための実践活動の第一歩として評価されてもいいと思う。そして実に、共有価値をできるだけ多くの人に持ってもらって、次なる実践に発展させたいものと祈っている。

「三樹会」の活動が、■6月21日付の毎日新聞に紹介されました。

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