「美しい日本の歩きたくなる道500選」に
                   選ばれた我孫子の道を歩く
          伊藤 紀久子・鈴木 茂夫(会員)
6月になって初日の当日は朝からカラッと晴れ渡り、かなり暑くなることを覚悟に一同アビスタを出発する。先ず英国の陶芸家バーナード・リーチの修行僧を刻んだ英文記念碑を確認す。つづいて我国歯科学界の功労者、又野口英世の育ての親でもあった血脇守之助碑を仰ぎ見る。

 足裏にやさしいアンツーカーの遊歩道に入り手賀大橋を目指し歩む。途中栴檀の花のシャワーを浴び、木下闇の文学広場にさしかかる。

 柳宗悦、中勘助、武者小路実篤、滝井孝作、志賀直哉、杉村楚人冠、バーナード・リーチの各案内、及び斉藤茂吉の歌碑などに、ひとしきり活躍に思いを馳せ再び前進する。我孫子高校の脇を通り手賀大橋を頭上に手賀沼漁協へぬける。最近新入りの黒鳥に目をとめ、又おなじみの鵞鳥の出むかえを受ける。

 一同暑さにめげず、青葦越しの手賀沼を右手にひたすら水生植物園へ向かう。幼稚園児のザリガニ釣りに目を細めまだ蕾の菖蒲園へ入る。一汗拭い、花はすっかり莢となった藤棚をくぐり香取神社方面へと歩む。水神山古墳はなだらかではあるが前方後円墳の形を成している。新興の住宅街を通り香取神社にて参拝する。境内には古墳が二基残っている。

 大銀杏の石段を下り、鳥の博物館を右折し、高野山小学校へ出る。市役所を左手に東邦病院の裏手を通り、並塚のいわれを聞き、県道船橋・我孫子線を横切り子の神大黒天へと向かう。往時をしのぶ苔むす石段を上り子の神大黒天に到着する。10月中旬火渡りの行の行われる広場を前に、奉納の金のわらじをながめ一休止する。

 当日はちょうど開放日であったので、ここから境内の斜面側に隣接する竹やぶに包まれた村川別荘に向かう。境内を出た駐車場の左手にある簡素な格子戸の門をくぐり飛び石伝いに坂を下りる。急峻な斜面の中段を活かした、破風に特徴のある別荘建屋と別棟の母屋が保存されている。この建物は市が保有する歴史的建造物でありながら、予約をすれば会議にも借用できる市民財産のひとつである。 
 竹林の中の通路を更に下ったところにある裏門はハケの道に接している。大木が繁る貴重な斜面林を右手に、ハケの道を進むこと10分程で志賀直哉邸跡に至る。跡地には我孫子や手賀沼をテーマにして執筆活動をした質素な書斎が在る。

 ここから道なりに数分進み右手に折れると楚人冠公園。僅かな距離である。高みに立って見回しても周囲は建物ばかりになってしまったが、かつては沼の水面が一望されたであろう此処は小公園として整備されていて、杉村楚人冠の詠んだ立派な句碑が建っている。

 四阿で小休止して更に住宅地の細道を進むと程なく、3本の椎の大樹が大切に保存されている三樹荘に行き着く。ここは柳宗悦の別荘跡地で村山氏の私邸になっている。道を挟んだ向かい側は嘉納治五郎の別荘跡地である。垣間見る三樹の幹の太さに感嘆しつつ手入れの行き届いた坂道を下る。この坂は天神坂といい景観賞を受賞している。

 坂の下はハケの道になり、その先は県立手賀沼公園と出発地点のアビスタである。全行程7kmほどの道をゆっくりと散策して約3時間、一同快い汗をかいて充実したひとときを過ごした。
 編集後記
第1回景観散歩で蔵のまち真壁町を訪れた。
100件以上の登録文化財をまちづくりに活用しています。しかし、登録文化財をどのように維持していくかが、課題です。それこそ市民の出番だと感じました。(清水)

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