景観散歩「栃木市」 斎藤 政成(会員) | |
●景観散歩の道すがら「出流山(いずるさん)満願寺」を訪れる機会を得たのは、
"そば"に惹かれての縁であった にせよ有り難かった。思えば宿願の阪東三十三札所巡りにこの地を訪れたのは昭和六十一年(1986年)五月四日であった。 今は昔、記憶は全く失せていて、沿道の"そばの店"がこのように連なっているのも定かに記憶はない。その頃は私も達者であって奥の院まで詣でたのに、 今日は階段も思うに任せず、脇の道を辿って、お参りする。昼食は近くのそば店で手打ちそばに舌鼓を打ち、また僅かの酒の美味に感嘆の声をもらすばかりであった。 (新潟産で「キリン山」というそうだ。現地から直接取り寄せるので、栃木市内では販売していないそうだ。)御主人にゆで時間は一分でしょうと問い掛ければ、曰く 「それでは長すぎる。五十秒です。」との答えにさこそと頷いた次第であった。 栃木市に入り案内所の敷地に駐車し、市内を見学する。思えばこの地を訪れるのは三度目である。最初はこれも遥か昔の頃で小学校の友人とこの地を散策したのが 始まりであった。 その折は東武線で栃木駅で下車し、町並からすぐ巴並川(うずまがわ)の川筋に入り、流れにそよぐ水草と周囲の景観を楽しみながら歩き、 新栃木駅付近で居酒屋に入り歓談して 帰ったのを記憶している。二度目は一昨年の秋、友人と三人で筑波山の帰りに、車で遥か関東平野をめぐり回ってこの地を訪れたのは 記憶も定かである。山車会館をはじめ各地の 記念館を案内されて昔を忍び思いを巡らした。 このたびは景観散歩なので名所よりも市内の通りや県庁堀りや巴並川(うずまがわ)の川筋をぬって回った。何よりも感心したのは、とにかく 道筋にゴミやタバコの吸い殻が 見受けられない事であった。唯、最初に回った近龍寺の山門にコカコーラの空き缶が一個ころがっていたのには驚いた。 (山門から少し離れた塀ぎわに取り除けておいた。) |
●また巴並川(うずまがわ)に向かう道の辺に煙草の吸い殻が一個、 それもすっかり潰れていて紙屑としか見えないものがあったのみ。 一昨年も同じように道を観察していたが、その折は少ないにせよ、とにかく煙草の吸い殻は時折り見掛けたが、今回は前述のようで、さすがと感心するばかりであった。 案内の斎藤さんに条例の有無を問い掛けたら「施行されて十年にもなるか」との答えである。我孫子は施行されて三ヶ月の今日、吸い殻・紙屑などは以前と少しも変わらぬ ようすに、 条例の効果が現れるのは時日を要するのかと思いもした。 特筆すべきは県庁堀をはじめ巴並川(うずまがわ)の流れが誠に清らかで、真鯉や緋鯉の遊泳の姿を見せ、軽鴨などが流れに佇立していることだった。 それは二十年の昔と少しも変わらぬ姿に驚く程であった。今日の世情では、所謂生活用水はおびただしい量で、どこの都市もその処理にあぐねているのが一般である。 それがこの栃木市に限り、昔と少しも変わらないのは一体どのような方途を見出したのであろうか。この疑問に解明を与えて頂くべく、近日中に栃木市広報課に書簡を送る 所存である。 今回の栃木市の景観散歩は、私に環境美化と都市の水の処理の在り方についての疑問を、目の当たり氷解させた栃木市のそれに大きな暗示を得て我孫子のそれにも 希望を見出した 次第である。 |