我孫子の景観を育てる会 第19号 2006.7.15発行
自治体の枠を越え手賀沼の景観をコントロールする     戸田 惣一郎(会員)
眺める側であり眺められる側でもある
手賀沼の柏市側のほとりに、大規模な宅地造成が行われました。「豊かな自然の恵みを暮らしに採り入れる、環境との共生。」を歌い、手賀沼の眺望が売りであるこの造成地は、湖畔の森を大きく切り開いて建設され、対岸である我孫子側からの眺めに顔を出します(写真右)
  我孫子市側から眺める手賀沼の景観の大部分は柏市であり、ここで大規模な開発が行われれば、我々の眺める景観が損なわれる恐れがあるのです。その逆もまたありえるでしょう。したがって、手賀沼周囲の景観を守るには、手賀沼に接する我孫子市と柏市が自治体の枠を乗り越えて連携し景観コントロールに取り組む必要があります。

自治体の枠を越えた景観コントロール
その際参考となるのが、関門海峡を挟んだ下関市と北九州市が県域を超えて設けた「関門景観条例」と「関門景観協議会」です。かねてより両市は、関門地域の振興を目的に「ツインウオーターフロントシティーの形成」を掲げて、豊富な観光資源を生かした観光振興、交通アクセスの改善、さらに関門海峡の景観を生かしたまちづくりなど、多方面にわたり連携しており、平成十年八月には共同で景観づくりに取り組む「関門景観協定」が両市長により締結されています。それを足がかりに、両市民のかけがえのない財産である関門地域の景観を更に魅力あるものとするため、平成13年10月3日に同一の題名、同一の条文による「関門景観条例」をそれぞれ制定し、それらを適正に運用するために、地方自治法252条の2に基づき下関市と北九州市が「関門景観協議会」を共同設置したのです。

この条例のポイントは、「両市がお互いの対岸からの見え方や国際航路を航行する船舶からの見え方」に着目している点です。海峡を挟む両市の臨海エリアを関門景観形成地区に設定し、さらに景観的特色や地域特性によって5景観17地区に分けてそれぞれに景観や色彩の指導方針を定め、届出制度によって景観をコントロールします。これは、対岸からの眺望を守ろうとするだけでなく、海峡を通る船舶からの眺望がもつ表情の変化を「ゲート」に始まり「水際」、「まちなみ」、「緑」、「核」へと続く5つの特徴的な景観の連続ととらえて演出しようとしているのです。
手賀沼の柏市側住宅地

手賀沼景観条例と手賀沼景観協議会
関門海峡の事例を踏まえて、手賀沼においても我孫子市と柏市が連携してそれぞれの「対岸」の景観コントロールを実施できないでしょうか。これまで手賀沼を取り囲む2市1町(現在は2市)は、手賀沼を活かしたまちづくりを推進するため、行政レベルで「手賀沼を生かしたまちづくり推進委員会」を結成し、「手賀沼を活かしたまちづくり推進事業構想」を作成しました。我孫子市は、一定規模以上の開発行為に緑地確保を要請する手賀沼沿い斜面林保全条例を制定しました。市民レベルでも10年前から沼に関わりを持つ市民団体の連合「美しい手賀沼を愛する市民の連合会」が活動を続けています。土壌は整いつつあります。

次のステップとしては、2市が連動する手賀沼景観条例の策定です。関門海峡の事例のように2市で同一内容の条例を定めるまでいかなくとも、2市の職員や推進委員会、市民連合を巻き込んだ手賀沼景観協議会を設けて景観計画を検討し、2市が結果をそれぞれ持ち帰り景観条例などの施策に反映するのです。そこでは、対岸から眺められることを意識した施策がねられます。そうすれば、手賀沼周囲の景観を一体的に管理することが可能になるのではないでしょうか。

景観行政団体に期待すること       富樫 道廣(会員)
最近、昨年から今年にかけて、土木や、都市計画の関係者の韓国訪問がにぎやかだ。
 聞いてみると、目指すのはハンで押したように「チョンゲチョン(清渓川)」である。
 ソウルの市街を東西に流れる大河が漢江。チョンゲチョン(清渓川)はその支流になる。

かつて日本帝国の占領政策の一つとして、清渓川の20〜30メートルもある川巾を覆蓋して満州に通ずる鉄道を架設使用とした。(1937年)ところが第二次大戦の勃発で戦費がかさんで止むなく中断。そのまま30年がすぎた。韓国の朴政権の時代に(1970年代)、清渓川は完全に覆蓋され、5.8キロが高速道路に生れ変ってデビュー。ソウルの幹線自動車道路になって、一日の通貨車両は17万台にも及ぶ。

ところが21世紀になって、600年前のチョンゲチョンにもどしたいという運動が起り、それを公約に出馬した今日の李市長が誕生、早速その工事を実行したのである。 
 まさかと世界中が見守る中で、2003年2月基本計画を完了、入札の公告をしたと思ったら、昨年(2005年)の秋、覆蓋は完全に撤去され、チョンゲチョンは、美しい都市の中のリバーサイドに生れ変り、今や若もののデートスポットになっている。その景観計画も見ごとというほかはないが、今それを述べる紙幅は残念ながらないので省略することにする。
  日本橋の景観を、オリンピックという経済効果と引き替えに犠牲にした40年間を、今、韓国に学習しようとしているところである

前おきが長くなってしまったが、この話は我孫子にも決して無縁ではない。つい先日、PI方式でやってきた、16号線のバイパス問題の、千葉柏道路協議会の報告書を見てびっくりした。これまで利根川などの言葉すら聞いたことがなかったのに、手賀沼を通せないのなら「利根川沿いのルートが望ましいという意見が住民から多く寄せられた」という話である。地域の住民がこのような意見を言うものだろうか。事務局がどうゆうふうに聞いたのか。
まだ図面上の素案であって、漠然としたものだが、野田から利根川に出て、川沿いに布佐まで来る。そこから八千代に貫けるという。 具体化するかにしても何年かかるかわからない。新しい道路というインフラで得られる経済効果と、住民の心を傷つける負の効果の比較を、もっと住民の見えるところで議論してもらいたいものである。 私たち景観に、関わるものにとって、心を傷つける前に、物理的にも景観を守らなければならない使命がある。とくに布佐地区などは「あびこ景観マップ」にも指定されている利根川の眺望ポイントがある。

景観法が施行されて一年以上になるが、表面的には市民の目には何も変化は見えない。我孫子市は目下「景観基本計画」の見直しの作業中である。いろいろ市民の意見を吸収しているが、これも変化は見られない。

我孫子市はいち早く景観行政団体の名のりをあげた。景観行政団体になったからには、当該の都道府県からは独立団体となり、その主権はその首長になるはづである。我孫子の景観の特徴とはいまさら言うまでもまく「水と緑」である。その水が大きな手賀沼、利根川という一級河川に囲まれている。一級河川の管理は国土交通省とか、手賀沼は県立公園だとかというボーダーを、せっかく名のり上げた行政団体としてとっぱらってもらいたい。そして何としても「水と緑の縁取り空間」という言葉だけでなく、行政団体として、水域と陸域を含むウォターフロントとしての景観管理をする組織・仕組みをつくってもらいたいものである。
 これまでのような、都市部の中の一係としての景観活動では何も出来ない。一級河川だけでなく、田園農地・斜面・又はは教育委員会に属する文化の面をもカバー出来る様な、次元の高い所から見える組織にしなければせっかく出来た景観法も、有効な活用がむづかしいと思っている。
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