三樹会だより 第4号
「智」「財」「寿」
                      三樹会世話人   瀬戸 勝

   三樹荘の庭園には3本の椎の大木があります。いずれも樹齢400年超とのことでアビスタからもその威容を見ることができます。

 「智」「財」「寿」はこの3本の椎につけられた名前です。
 お庭から手賀沼に向かって左奥の大樹が「寿」、右側が「財」、そして中央手前が「智」、とのこと。

 この中の「財」の樹にあの志賀直哉が登り、腕を組んで威張っている(?)写真を村山先生に見せて頂きました。あの「小説の神様」にこんな茶目っ気な面があるなんて、まさしく「想定外」でとてもほおえましく思いました。人間だれしも高い所へ登ってみたくなるものですかね。
 会員の皆さんは清掃の合い間にそれぞれの願いをこめて触ってますが、村山先生は「触るだけで金持ちになったり、長生きはできないよ。本人の努力が第一」と笑っておられます。

 三樹荘を見学される時のご参考になれば、と「智」「財」「寿」をご紹介致しました。
    この椎が志賀の登りし樹なるかと
     仰ぎ見るよし 触れるまたよし
 お粗末でした。私はまず「智」の樹にしがみつく必要がありそう。

会員からひとこと
黒木 昌司(寿)
 我孫子に移り住んで27年になるが確かに我孫子住民であると実感するようになったのは定年退職した3年前からである。
 現役時代はそのほとんどが単身赴任の生活であり、下の子供が生まれた翌年、そろそろ終の住処をさがし始め最終的に我孫子に決めたけれど現場勤務に明け暮れ我が家には月のうち3日居ればいい方であった。今振り返ってみても家事、子育て全てを女房任せで落第の父親であり、夫であった。反省!

 手賀沼の思い出はあまりいいものではない。越した当初妻と二人でボートを借りて漕ぎだしたが底の見えない汚さ、櫂にベットリ付いたアオコに閉口し早々に退散した経験がある。
 現在は汚名日本一を返上し、今夏には手賀沼でトライアスロンの計画と新聞報道で知った。手賀沼は甦りつつあるが我孫子の緑地はずいぶんと減少している。日立精機倒産でまた樹木が伐採された。

 そんな中、手賀沼沿いの遊歩道から眺められる高台の三樹荘が長い年月、村山家御家族だけで維持され、落ち葉の清掃作業が重い負担になって来た事を我孫子の景観を育てる会の清掃サポートが呼びかけで知り、もろ手を挙げて賛成した。

 三樹荘邸内、天神坂とサポーター仲間で分担して清掃した後の楽しみはあすなろ亭でのお茶の時間である。村山先生の博識に感心し、また少しエッチな女性談義に笑いを誘われるひとときである。五月の「薫風の集い」は楽しかった。秋の紅葉頃の芋煮会待ち遠しいですね。
第三回景観散歩 (大多喜町)          寄藤 紫郎(庭園公開サポーター)
第三回景観散歩が5月12日、市役所からの2名を含め参加者35名で行われました。
   前日からの天気予報は曇りのち雨で有りましたが、当日は日頃の行いが良いのか暑くも寒くも無く気持ちの良い天気となりました。


目的地の大多喜町は、以前、養老の滝・養老渓谷の散歩で一度来ましたが、町を見るのは初めてです。道中の車窓からは、木々の新緑・藤の花・田植えの終わった水田、又民家の庭に咲く花々等、目を楽しませてくれました。田園風景の中、大多喜城が見え隠れし間もなく着きました。

大多喜観光本陣で町職員の方から説明を受け、川越の町をイメージして登録文化財を守ろうとしている事、町建物等の意匠を城下町のたたずまいになるよう統一し、塀等の工作物や建物前面の色の修景等を推進すると共に、区域住民や観光客が安心して歩けるように小道の整備(石畳舗装)やポケットパークの整備・シンボル塔や案内板の設置等を行っている。 整備事業についての話を伺い、町並み見学に出かけました。

●街道筋の重要文化財前で武者に扮するガイドさんから説明を受ける一行

案内役はお城祭りの武者に扮した嶋野良彦様、この大多喜町は房総の小江戸といわれ、歴史的には天正18年(1590)徳川四天王の一人「本田忠勝」が、安房の里見氏への押さえとして、徳川家康から上総大多喜の地に封じられ、10万石の大名になり大多喜城を築城した町で城下町の面影を残す久保・桜台・新丁地区には、江戸時代からの建物が点在し、長い歴史と伝統に育まれ、豊かな文化と美しい自然環境を背景に発展を続けてきたとのこと。

●楽しい武者に扮した嶋野さんの案内を楽しむ。
商い資料館の前にて 
国指定重要文化財の渡辺家は千葉県文化財、江戸後期の建物で重厚なたたずまいが江戸時代の典型的な商家の形をしているそうです。開運何でも鑑定団の鑑定士をされていた渡辺包男さんの所有でした。醸造元・豊乃鶴酒造は、直角に曲がる道、格子戸と蔵造りの家屋などが数多く残され、歴史的文化遺産として色濃く今に伝えています。普段は、酒造の見学が体験でき試飲も可能です。 残念ながら今回は,お休みのため、試飲はできませんでした。
次に商い資料館へ、この商い資料館は、明治・大正・昭和・平成へと伝え続けられてきた大多喜商人の心意気と、時代劇を思わせる道具の数々(昔の暮らしがしのばれる生活用具や遊び道具)を展示。懐かしい品々を見るにつけ心やすらぐ時間を過ごしました。

●裏道に敷かれた石畳と道案内標識

それから昔の逓信省の郵便マーク(〒)を瓦屋根の突端に付けた旧大多喜郵便局。現在は、地域住民文化向上のため市民ギャラリーとして残されていました。つぎに半井桃水に無名であった樋口一葉を紹介したと言われている友人野々宮きくのお墓がある大円寺へ、きくが紹介しなければ一葉の文才が開花したのかわかりません。

そして本多忠勝の墓がある良玄寺へ、忠勝は自分の菩提寺として良信寺を建立、甥の政朝が後を継ぎ良玄寺とした。

●直角に曲がる旧街道筋の造り酒屋

お墓を後にして、大家旅館へ、1999年に国重要文化財に指定され、ドラマのロケ(松本清張の砂の器)などに使われた建物で外観より中は広く案内の仲居さんとはぐれ、行ったり来たりで迷路のようでした、楽しみにしていた昼食は,名産の竹の子がやわらかで最高でした。食事中、中庭から蛙の声・うぐいすの声が聞こえ、心が和みました。

食事後は自由行動となり、お土産を買いに大多喜名物十万石最中のお店へ、そして集合場所へもどり、次にハーブ園(ハーブアイランド)へ、ハーブ大好き(妻)が楽しみにしていて、我が家にもローズマリー・タイム・セイジ・イタリアンパセリ他を作っていますが、ハーブティの組合せ、料理方法等参考になればと思いましたが、見るだけで説明等無く残念でした。
●本多忠勝の墓がある良玄寺にて

ハーブ園を後に一路帰宅の途につきました。

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