訪ねました!「日本民藝館と旧柳宗悦邸」
我孫子と縁が深く、無名の職人の手仕事に光を当てた民藝運動を提唱した柳宗悦が、自身で設計した自邸が、目黒区駒場の日本民藝館の敷地内に修復され公開されている。そこで、3月14日〈水〉会員・三樹会会員18名が訪問した。

民藝館の杉山学芸員の説明によると、民藝館の木造の部分は開館当時のままで、鉄筋造の部分は後で増築され、平成11年に登録文化財に指定されたとのことである。

日本民藝館創設70周年記念特別展として「柳宗悦と丹波古陶」が開催されており、民藝の持つ美を凝縮したものと言われる丹波古陶を観覧できた。民藝館に300点ほどあり、柳宗悦は「渋さに美意識の極み」と言って気に入っていたと言う。伝統の持つ力を感じさせる丹波古陶は、いっちん描きの技法、葉紋を用いた等、多彩な焼き方をし、他に類がない、との説明であった。

その後、敷地内にある修復された柳宗悦邸を見学した。玄関部分は屋根が大谷石葺きの珍しいもので、宇都宮の長屋門を移築したものである。民藝館に長屋門を配置するという構図は、宗悦がデザインしたものである。昭和10年に完成したこの邸に宗悦は昭和36年に亡くなるまで住んでいた。居間は座る茶の間の畳の面を、居間の床面より1段高くし、障子は桟を面取りした3本引という、それまでの和風住宅にはなかったものである。
修復された旧柳邸入り口

人間国宝の木工家、黒田辰秋制作の楕円の大テーブル、英国のアンティークの家具と相まって独特の和洋折衷、昭和初期のモダニズムの雰囲気である。2階の階段室にある手洗い、子供部屋の作り付けのベットも素敵なデザインである。書斎には当時の机や椅子が残されている。宗悦は生活全体を豊かにするため、暮らしの空間のしつらえにこだわってデザインしていた様子が分かった。

宗悦は母親が嘉納治五郎の姉であったこともあり、大正3年から10年まで、我孫子に在住した。我孫子で李朝の焼き物と出会い、それまでの関心は西洋美術であったが、民藝に興味を持つようになった。我孫子での民藝運動、雑誌「白樺」の創刊に参加し「白樺派の人々との出会いがその後の宗悦の活動の源泉になった」と聞いて、従来にも増して、宗悦が大変身近な存在に感じられた。
〈清水〉

楕円の大テーブル

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