江戸文化拠点としての相島新田の井上邸                  梅津 一晴(会員)
               登録有形文化財の答申を受けて
今年元旦の広報「あびこ」は、井上家住宅が登録有形文化財として「国の文化審議会が文部科学大臣に答申」と報じ、我孫子の文化史で記念すべき年明けとなりました。

相島新田の井上邸

答申された井上家の建造物は、母屋を始め、油こし場、二番土蔵、新土蔵、表門、裏門、外塀、庭門、庭塀の9件にも上り、江戸時代の歴史的景観を今に伝えています。登録物件は公的建造物の多い中で、個人の登録は非常に珍しいようです。

井上家は、江戸初期に近江国から小田原城主戸田氏と共に江戸に出て、江戸尾張町に「近江屋」を開業、御用商人として江戸城に食糧品を納めました。享保改革で新田開発奨励政策を受けた四代目徳栄は、1728年に家屋敷・商人株を五千両で売り払い手賀沼新田開発に参加、「相島新田」と名付けて干拓に着手しましたが、干拓が成功し米倉を建てたのは昭和初期十二代目井上二郎の時代で実に苦難の二百年を経ていました。

建造物の中で最も古い表門と母屋は、九代目主信が弘化4年(1847)に再建したものです。格式ある唐破風の大玄関を持つ母屋の内部は1尺柱と1尺梁をふんだんに使った10の部屋に仕切られ、書院造りの奥座敷は、欄間の模様、違い棚戸袋の絵など“雅”のある江戸商人屋敷を彷彿とさせます。

北側の離れは明治時代に油こし場、使用人宿泊所、干拓事務所に使用され、現在は展示室、喫茶室になっています。4棟有った蔵のうち古文書、衣類などを保管していた江戸蔵、米倉の2棟が現存します。庭門を潜ると梅の古木、松、つつじの他なぎの木、玉串、榊などが植えられ、神官も勤めた井上家らしい風情です。
十四代現当主の井上ご夫妻は、この歴史遺産を保存し地域文化の発信基地とするため15年前から建物を整備し「相島芸術文化村」を創り、今年で12周年を迎えました。

「文化村」は春秋二回のクラフトバザール、相島芸術展をはじめ展覧会・コンサート、相島ひな祭りなど多彩なイベントを企画開催しています。日本アート協会の代表で「文化村」村長でもある井上千鶴子さんの芸術活動は特異で、文化庁の伝統文化保存補助事業の一環として、貝絵アート、貝合せ教室を主宰し、平安朝以来の伝統文化“雅”の継承に尽力されている事です。

1998年からスタートの我孫子国際野外美術展では、国内外の招待アーティストの受け入れ、宿泊の提供、ボランティアによる食事・制作サポートなどで国際交流の場ともなっています。

平成17年秋は10周年記念の催しを盛大に行いました。演劇 太宰治作「モノドラマ」、舞常磐津「老松」、美術工芸展、倉パネル展では、文化村10年活動記録と相島300年歴史年表、東葛映画祭、朗読劇、そして豊穣の米倉コンサートでのヴァイオリン永井由里、ピアノ水月恵美子、立川談修「古典落語独演会」など、多様な芸術活動を行ないました。

井上家の土蔵

毎週水・木曜日は休村日、4月から入村料として500円頂くことになりました。10時〜17時がオープンです。北別棟の喫茶店では香り高いコーヒー、飲み物、昼食を楽しめます。
中庭に面する唐破風の大玄関と米倉、井戸
中庭に面する唐破風の大玄関と米倉、井戸 梅津 絵

■もどる