『我孫子の歴史景観散策会』に参加して                   酒井 弘(会員)
写真・歴史散策会
下ヶ戸八幡社北斜面の”はけの道”で、梅津リーダー(中央)が
下ヶ戸の貝塚と遺跡の分布を説明しているところ。


第二回目となる歴史散策会は、6月7日(土)に開催された。当日は梅津リーダーの他、遠くは松戸からの男性を加え、総勢14名。当初予定(5月25日)が雨に祟られ順延しただけに、この日の好天に全員気分は爽快と、云うところ。集合場所のJR天王台駅北口を出発して3分。路地を突き当たったところが、
「大原邸のガーデン」―平成15年度市の景観住宅賞を受賞した素敵なガーデンを拝見する。歴史景観とは関係なしと云うものの、まず手始めに目を肥やしておく。犬の散歩を終えて帰宅された奥様にどうぞと云われるも、この先道中はながく、早々にお暇をし、露地を左に折れる。階段を降りると、世界は一変する。田舎が現出した。農家の方々には失礼だが山深い農家とはかくあらん、と思った。旧水戸街道をわたるとすぐに、
「柴崎神社」、がある。天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)ほか6神を祭る。日本武尊が東征の途次安全祈願をしたとも言われている。徳川時代には、参勤交代の際必ず下乗して参拝したとされ、由緒・格式のある神社である。鎮守の森には数多くの大きなシラカシ、楠、欅などが茂り、それらが社に一層の荘厳さを加えている。神社の裏を進むと、
「東源寺」が出現する。北条氏康以来450年の古刹。本堂正面左側には、樹齢250年の榧(まがや)の木が聳え立っている。昭和10
年千葉県指定文化財に指定され、樹長24メートル、周囲4.5メートルはまさに壮観。樹下には、「光音禅師手栽の榧」と小碑が立てられている。

旧水戸街道に戻る手前に、「円福寺」。ヒッソリとこじんまりとしたお寺で、世間から忘れられているかの様な雰囲気。寺守らしき人からご挨拶を頂いた。旧水戸街道に戻って水戸方向(柴崎三叉路のこと)に歩くと、旧柴崎村の中心地であった、
「八ケ所宿」があったと云われている。往時を偲ばせる旧家が並んでいる。中でも、「川村磯右衛門家」立派な4足門と古松に囲まれた古風な屋敷が我々をタイムスリップさせる。礒右衛門は幕末の旗本家給人ともなり、当時柴崎村唯一の苗字帯刀を許された名主で、大酒屋でもあった。

三叉路を右に折れ、畑傍の道を歩く此の辺りに、「柴崎城址」があったと云われており、畑を眺めながらそれらしき風情を偲ぶ。
第三小学校脇をくすのき通り(天王台駅から真直ぐの道)へと下り、日の出通り(NEC方面から国道6号線に突きあたる道)を渡ると青山台の一角に出る。小高い森の急な階段を昇ると、そこは「八幡神社」。
実に鄙びた神社である。一体我孫子市には幾つの八幡神社があるのだろうか。歴史散策家としては調べてみる必要がある。この社も世間から隔絶されたようにヒッソリとしている。高台にある所為か眼下に青山宿場、遠くには利根川、隣りまち取手市を望むことが出来る。

すぐ隣にあるのは、「無量院」。
古刹と思われるが、入口には大木を切り倒した跡が無残。落雷のため倒れたか、樹齢による危険防止のためか、東源寺の榧を思うと残念な気もする。

そこから坂を下りると「青山宿場」、対岸の取手への渡し守が住んでいた低地。近年まで利根川の水害にあったところである。今は往時の見る影もない街通りを途中で引き返し青山台の団地中を東我孫子方面へ向けて足を運ぶ。暑さとダラダラ歩きで疲れも出てきた。

途中、「我孫子では一、二を争う」と蕎麦通が云う"よもぎ庵"を横目に通り過ぎる。常磐線のガード下をくぐり、NECの手前にある"ふれあい工房"で一息入れる。NECの前を通り、川村学園女子大学のキャンパスを過ぎた所で右折。数分歩くと鬱蒼とした森にブツかる。渡辺邸の庭だとか。この辺りにも古風な奥ゆかしい家並みがある。

最後の散策地は、やはり「八幡神社」。地元の方々の熱い信仰ぶりが伺える佇まいだ。

しばし佇み涼んだ後、JR東我孫子駅に向かい解散となる。
 全行程概ね6.5キロメートル、3時間半の散策であった。この僅かな時間と限られた地域(柴崎と東我孫子)の散策を通じて感じたのは、自分が普段いかに住宅地と車道しか見てこなかったか、と云うこと。

一歩道を右に、左に折れると素晴らしい自然・景観に出合うのだ。その一歩を踏み出せるか否か。我孫子の自然・景観の奥深さを知らされた半日ばかりのブラリ旅ではあった。

写真・歴史散策会

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