第3回「我孫子の歴史景観散策会」
―「ハケの道」(白山・船戸・根戸)を行くー
滝澤 正一(会員)
第3回歴史景観散策会が、2008年7月21日(月)に開催された。今回は第12回手賀沼フォーラムの企画「むかしの水辺の生活を追うーハケの道散策―」でもあり、公募で参加者は21名となった。

一行は、アビスタ玄関前で梅津リーダーから「我孫子の生い立ち」と散策コースの解説を受け出発。
アビスタ前の「公園坂通り」との交差点を渡り、車が行き交う「ふれあいライン」を左手に進む。50m程で自動車道を離れる小路へと入る。これが今日の散策路「ハケの道」である。

民家を数軒過ぎると右手から降りてくる白山坂と出会う。更に4−5分歩を進めると、右手に急な斜面が続く。急斜面には幾つかの階段があり、階段上は白山台地で住宅地が開けている。白山台地には 昔「嘉納農園場」があった。各々の階段からの景色は、眼下に広がる手賀沼と対岸の沼南の森とが相俟って朝な夕なに見事な眺めを見せ人々を和ませてくれる所だ。

「ハケの道」は更に西へ進むと、右手から斜面を降りてくる階段がある。「富士見坂」だ。ここからの眺めも四季それぞれ趣がある。

この先、小さな公園「白山西公園」附近は、湧き水の多いところだ。斜面の草むらをよく見るとぽたぽたと滴り落ちる水を見ることが出来る。以前は「ハケの道」まであふれ出て路面を濡らし、斜面の土の穴には小さな蟹の姿を見掛けたが、今では周辺の開発が進み、水量も大分少なくなった。

「ハケの道」はこの辺りから大きく蛇行し船戸・根戸地区に入る。この辺りには近年取り壊されてしまったが「根戸村新田名主邸跡」や数軒の家が点在し、近くには新田に張り出した森の中に「水神宮」が奉られており、古人の水辺での生活を偲ぶことが出来る場所だ。

やがて前方に道を挟んで「神戸邸の白壁塀」と船戸の森から滴り落ちる湧水の「水のみ場」が現れる。この附近は「第3回景観賞」に選ばれたところで何とも心休まる風景である。
根戸新田神戸邸附近
根戸新田神戸邸附近

さて「ハケの道」も最終行程に近づいた。前方、畑の向うに大きな森を眺めることが出来る。これが「根戸城址・金塚古墳」である。一行は現当主の日暮さんの案内で城址を見学した。
根戸城址の森
根戸城址の森
根戸城本丸からの眺め
根戸城本丸からの眺め

「根戸城址」は標高16〜17mの台地にある。城主は根戸三郎胤光、築城(改築)は大田道潅とあるが詳細は不明である。日暮邸裏の山道を登ると広々とした本丸跡に出た。城郭からは眼下に広大な新田と手賀の海が一望でき、視線を西方に転じると鬱蒼とした木々の間に高さ2m程の小山が見える。これが「金塚古墳」である。古墳は6世紀初頭に造られ、市内2番目に古いものだそうだ。参加者はそれぞれがその時代に思いを馳せながら、本丸を囲む空堀跡を周回し下山した。一行は市内最西端の根戸城址を後に来た道を戻り、途中で「武者小路邸」「根戸船戸古墳群」を訪ねた。

「武者小路実篤邸」は往路辿った「神戸邸の白壁塀」前から坂道を上がった船戸の森の一角にある。現当主長妻さんのご厚意で開放して戴いた門を入ると、そこは一転して「白樺派」を感じさせる庭が待ち受けてくれた。武者小路は大正5年から志賀直哉の誘いで移り住み文筆活動をする一方、彼の大きな夢「新しき村」設立の構想をこの地で練った。2年後の大正7年同志を募り「新しき村」発会式をこの庭先で行い、九州の日向へと赴いた。
武者小路実篤屋敷跡
武者小路実篤屋敷跡

邸宅を後に隣接する台地「根戸船戸緑地(船戸の森)」の中を手賀沼を望みながら通り抜け、最後の目的地「根戸船戸古墳群」に着いた。この古墳群は白山中学校の南側に位置し、周辺には6基古墳が存在し7−8世紀頃築かれたそうだ。そのうちの一基2号古墳が住宅街の中、白山古墳公園(標識は根戸古墳公園?)にあり、「マンションに同居する古墳」何とも不思議な我孫子らしい光景に接した。

「散策会」は約3km、2時間半の行程だったが参加者それぞれに我孫子の何かを胸に刻み、三々五々家路についた。
根戸船戸2号墳にて解散
根戸船戸2号墳にて解散

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