第8回景観散歩「古河市と関宿」を訪ねて                濱田 洋子(会員)      
秋晴れの11月21日(金)午前8時、我孫子駅北口「ふれあい広場」前から参加者36名がバスで出発。古河市までの約2時間の車中、会話を楽しみ、車窓から遠くに近くに紅葉や黄葉を愛で、点在する農家の豊かに実をつけた柿の大木に癒される。

遠く富士山と白壁の「関宿城博物館」が重なって見える絶景は、あらためて関東平野の大きさを実感させられる。幹事の方から、現地での見学行程や昼食メニューの予約内容の確認があり、事前に貰った案内資料を見ながら、初めて訪れる古河市に期待が膨らむ。 
「古河市」は2005年に1市2町が合併誕生。我孫子市と比べ面積は約3倍、人口は約1万人多い位である。景観散歩の目的地は、旧古河市、現「古河地区」で、かつて暴れ川と恐れられた「坂東太郎」こと利根川に合流する渡良瀬川の分岐点に接している。中でも、荒廃した「御所沼」を中心とした台地一帯を歴史と文化を景観として蘇らせたという「古河総合公園」は、いつもの「景観散歩」とは一味違う見方で見学して欲しいと、幹事さんから選抜された参考資料を頂く。利根川と手賀沼に挟まれた我孫子とは共通点があり、景観を育てる上でのヒントがありそうに思われる。
◎[ユネスコ]メリナ・メルクーリ国際賞を受賞した「古河総合公園」とは
やっと到着。バスから降り立ってまず深呼吸〜空気がおいしい! 面積25.2haという広大な公園の緑と水を渡ってくる風が心地よい。入場門と背景を切り取る額縁効果を兼ねて、建物の真ん中を通り抜けに設計された管理棟の前に集まる。早速資料を貰い、パークマスターの岩堀さんから「古河総合公園づくりのコンセプト、あゆみ」などのお話を聞く。引き続きパークマスターの説明を受けながら公園の散策を楽しむ。パークマスターとは、博物館の学芸員にあたる。ここには新しい試みと仕掛けがいっぱいあるようだ。

「古河総合公園」づくりの考え方は、公園全域を「台地と沼がおりなす自然に、深い歴史的遺産が層をなしている地相空間」と位置付け、「歴史と文化を景観として蘇らせた公園」にすることと記されている。このコンセプトをもって、古河市・市民・景観学者が一体となって長い年月をかけ、歴史と文化と公園づくりに努力と情熱を傾けてこられたことに感動する。

2003年に、文化景観の保護と管理を目的とした顕著な活動に対して、その功績を称える「メリナ・メルクーリ国際賞」がユネスコから贈られた。古河市と中村良夫さん(景観工学者・古河総合公園基本計画の見直し検討委員会委員長)の共同受賞であり、日本初の受賞である。ここに至る公園づくりの経緯については中村良夫著「湿地転生の記―景観学の挑戦」に記されているが、公園づくりは1972年に「大総合公園主要構想」が提案されてから始まり、1989年には中村良夫さんを検討委員会委員長に招請し、「構想」から30数年かけて着実に現在への姿へと転生したのである。

公園の全容は、中心に市民のイベント広場と、お茶と軽食が楽しめる「ジェラテリア」の建物を配置。西側一帯は、15世紀中頃、鎌倉公方足利成氏がこの台地に築いた「古河公方館跡」の雑木林「公方様の森」と、それを包むように蘇った「御所沼」が自然を育んでいる。
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ゆかりの名を付けた橋や釣殿、国・県指定文化財の旧家住宅が移築された民家園、体験できる梅林・茶畑が広がり、5月には沼のほとりで百席茶会が催される。東側一体は、江戸時代初期、古河城主土井利勝が農民に育てさせたという梅林を、2000本の花桃の梅林に復活し、園内一番の見所に。大賀蓮池、花菖蒲田。御所沼を復元したときの残土を積み上げて作った富士見塚からは、浅間山や赤城山などの名峰、富士山、筑波山を望み総合公園のランドマークである。

約1時間余りの園内散策に快い疲れを覚え始めた頃、管理棟に戻り終りの挨拶を交わす。最後にパークマスター岩堀さんに質問〜「公園管理の運営費は?」 お答え〜「年間5千万円ぐらいですかね・・」。我孫子に置き換えてみると・・・。古河総合公園は指定管理者制度により(財)古河市地域振興公社が管理運営している。
◎古河城出城跡の文化施設見学と石畳と商家の蔵造りが残る町並み散策
公園散策で程よい空腹感を覚えながら、バスで歴史博物館の駐車場へ移動。先ずはイタリアンレストラン「唐草」へ。古河文学館の2階にあり、木組みのしゃれたレストランにホッとする。事前に各自リクエストしておいた「唐草イチオシ:選べるランチ」が運ばれると、思わず笑みがこぼれる。

古河城出城跡は文化の集約空間として、古河歴史博物館、古河文学館、鷹見泉石記念館などを配し、城跡の樹木や整備された空堀が建物を囲み、歴史と伝統を新鮮に感じさせてくれる閑静な雰囲気の景観地区である。

昼食後、古河市ボランタリーガイドの女性お二人の待つ文学館前に移動。ふた手に分かれ、ガイドさんの案内で3館を巡る。最後は石畳の感触を楽しみながら、城下町の情緒が残る通りへ出て、永井路子旧宅(文学館別館)を訪ねる。

*古河文学館
瀟洒な木組み形式の大正ロマン調の建物は、数々の建築賞やまちづくり賞をもらっている。平成10年に県内初の文学館として開館した。ロビーでは学芸員の解説で、SPレコードを1930年代製作のイギリス製蓄音機で聞く。針は竹針。あたたかく懐かしい音色である。展示室3は、古河出身の歴史小説家、永井路子ゆかりの品々を常設展示。特設展:絵雑誌「コドモノクニ」の父、鷹見久太郎展が開催中だった。
*古河歴史博物館
平成2年に開館。周辺の景観を生かした建物として、日本建築学会賞受賞など高い評価を受けている。古代から現代までの古河の文化遺産を一堂に展示。ホールにはスタンドピアノ位の大きいオランダの楽器ストリートオルガンが置いてある。片面に民族衣装の女の子や赤や黄色の花々が描かれて華やかである。どうしてここに・・と疑問に感じたが、家老鷹見泉石が洋学、特に蘭学の研究者であり、オランダの地図や美術品などの展示をみて納得した。学芸員の実演で異国の音色を楽しむ。(せめて我孫子に資料館が欲しい)

*鷹見泉石記念館  鷹見泉石(1785年生・古河藩家老)の晩年の住まいを改修し公開。建物は古河藩主土井利勝が建てたと伝えられ、武家屋敷の閑静なたたづまいである。「コドモノクニ」の創刊者鷹見久太郎は子孫である。

*永井路子旧宅 永井路子が住んでいた当時に近い状態に店蔵を復元、平成15年に文学館別館として開館。奥の和室では昔話を聞く会などが開かれている。旧宅の店蔵は江戸末期の建造。石畳の続く通りには蔵造りの商家が残り、城下町の賑わいが偲ばれる。
*千葉県立関宿城博物館 利根川東遷を学ぶ*
古河市を出発して30分、千葉県の最北端、利根川と江戸川の分岐点にある関宿城博物館に到着。釣落としの夕暮れが迫り、企画展「自然災害を乗越えてー利根川中流域の土木遺産から見える歴史」を急ぎ足で見学する。かつてお江戸の水害を防ぐため、分岐点の江戸川に杭を打ち利根川からの水量を加減したという。利根川が今日の姿になるまでの災害へ立ち向かった人々の苦労を思う。展示のなかに我孫子の古地図をみつけた。

空を真っ赤に染めて太陽が山の端に隠れ、山々の稜線が黒いシルエットに変わる。黒い富士山がくっきりと浮かんだ。一大イベントを目に焼き付けながら帰路のバスに乗り込む。5時前というのに車外は真っ暗。車内はおしゃべりが続く。充実した秋の景観散歩だった。
◆平成20年度 我孫子市景観シンポジウム
2009年2月21日(土)13:00〜 アビスタ1階ホール
詳しくは2月1日の「広報あびこ」に掲載されます。

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