久寺家路と堤防布施を散策して(第4回我孫子の歴史景観散策会) 柏原 健子(会員) | |||
●梅津リーダーから今日の行程の概略説明を受けた後出発しました。久寺家路−堤防−布施のコースで5キロメートル、約3時間の予定です。 ●天気予報は曇りのち雨でしたが、雲が多いながら風も穏やかで温かく絶好の日和でした。 我孫子ビレッジ公園から、メタセコイヤの公園は直ぐでした。メタセコイヤの並木は黄金色に染まり、木々の根元は黄色い絨毯でした。公園を抜けてリーダーの後について坂路を登ると、久寺家路に出ました。町中とは思えない鬱蒼とした木々の中、山の坂路を登っていると「近くに住んでいるけどこの路は始めてだ」との声も聞かれました。 ●前方に手賀沼、後方に利根川を控えた我孫子の高台は、洪水などの心配も無く人々が住み着いたのでしょうか。路もくねくね、家並も懐かしさを覚える久寺家の家並です。 ●南側、眼下につくし野とそれに続く市街地を見ながら進んだ後、大鷲(大鳥)神社に着きました。その昔、天慶の乱(939)で滅びた平将門の臣久寺豊後守が、流浪の果てに当地に移り住み、地名を久寺家と称し鎮守明神社を創建、日本武尊を祀りました。泰平の江戸時代中期になって大鷲神社は創建されたそうです。 ●再び久寺家路に戻って、東に進み家並を抜けると宝蔵寺の立派な山門が現れました。寺は元和3年(1617)建立との事、歴史の重みが感じられました。境内の大銀杏は市の保全樹木になっています。ここで皆んなでのど飴をいただき小休止。 墓地の奥右端付近に久寺家城があったそうです。本城の我孫子城は、はるか前方国道6号線沿いのレストランの場所にあったそうで、二つの城は合図で連絡が出来たそうです。 |
●エネルギー補給をした後、再び歩き出しました。宝蔵寺の擁壁は見事な石組みを見せていました。擁壁を見ながら坂路を下りると中央学院大学に出ます。 ●土手の上に登ると、後方には我孫子城址に出来た赤い屋根のレストランと、昔は谷津の広がった入江跡に出来た家並、そして前方は視界がぱっと開がって遥か遠くに利根川、その手前の広々とした北新田の耕作地が現れました。遠く筑波山が霞み、足元には青草が繁り、春に咲く野の花も見られ思わず歓声をあげてしまいました。以前は利根川に堤防が無く洪水が繰り返されてきたそうですが、昭和25年から越流堤のある田中調整池の工事が行われ、1175ヘクタールの広大な北新田が誕生しました。 ●堤防から下りて北新田の縁に作られた畑の中を通ってから、布施の堤防に上がり歩くと利根川の「河口から88キロメートル地点」の標識があります。 ●広々とした北新田の耕作地を後にして布施の集落に入ると、懐かしい家並が続いていました。四足門を構えた同姓の家々や野口邸の長屋門は、今では珍しい貴重な物で何時までも残して欲しいものです。 ●丘の道に戻り、少々早めに三井団地停留所に全員無事到着、予定より早めの解散となりました。 ●帰路の途中ポツリ、ポツリと雨が降り出しましたが、私にとって大満足の一万五千五十二歩の「歴史景観散歩」でした。 |
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