水の館の前の白い石                                          富樫 道広(会員)
我孫子の水の館の前に大きな白い石のオブジェのような石像がある。彫刻家安田 侃(かん)の作品であるが、あまり知られてはいない。水の館とどんな関係があるのか私自身分からなかったので、係りの人に聞いてみた。



それによるとこれを建てる時に、県が同氏に依頼をして作ってもらったものであることがわかった。名前もついているというので探してみたが、大分離れたところに「天泉、千葉県知事 沼田 武書」と書いてある。石像の前に「彫刻家 安田 侃作 1994年」とある。間違いなく安田 侃の作品と納得。

安田 侃は赤ワインで有名なイタリア、トスカーナ地方で活躍する世界的に評価の高い大理石の彫刻家である。フィレンツェがその中心であるが、そこから70キロ西に行って、湖のほとりにある、トーレ・デル・ラーゴ。プッチーニのヴィラが今も残っていて彼のお墓もそこにある。晩年の作品、「蝶々夫人」や「ツーランドット」などはここで出来たことになっている。

友達の作曲家マスカーニが、彼の死後、隣の広場に3,500人も収容できる野外ステージを作り、1930年以来毎年夏に音楽祭を開いてきた。戦争で中断はあったが、今尚盛大に行われている。

2000年のこの音楽祭に「蝶々夫人」が取り上げられ、その舞台美術を安田 侃が担当することになったのである。地元の新聞は大変だったらしい。なるほど人気のある彫刻家ではあるが、それがオペラの舞台とどうつながるのかが大論争になったのである。
結果は案ずるより・・・で、それが大成功を収めた。彼は大理石の彫刻だけで舞台を作った(勿論舞台では張子であるが・・・)。その彫刻には哲学があって、地球に飛び降りる蝶々さんは「翔生」といい、生と死をさまようのは「天聖」というなど。水の館の前の「天泉」もその一連なのかも知れない。

次の年の2001年、その「蝶々夫人」を上野でやるというので、はやる気持ちを抑えながら行ってみた。蝶々さん役をダニエラ・デッシー、ピンカートンをヴィンチェンツェ・ラ・スコーラという最高のキャスト。舞台は全く大理石だけという異様なものだった。しかし照明の魔術で舞台は見る見るうちに変化する。蝶々さんの心のうちを大理石と照明で細かに現しているようだ。

照明を担当したのは石井幹子。東京タワーやレインボーブリッジの照明で有名なデザイナーである。圧巻はフィナーレ・・・蝶々さんが子供に目隠をさせ、父親の形見の短剣で喉をさす。血が飛び散って大理石が見る見るうちに真っ赤になる。大理石と照明で創られた風景。感服いたしました。

我孫子の何回目かの景観シンポジウムで、新潟大の樋口教授に来てもらったことがあった。たまたま手賀大橋が出来て、橋の照明が話題になりかけていたころである。新潟の万年橋の景観形成に関わっていた樋口教授に、レインボーやベイブリッジの真似はしないほうがいいと思いませんかと石井幹子を意識しながら質問したことがあった。教授に答えはもらえなかったが、その後、「蝶々夫人」の舞台以来、照明の重要性を再認識したものである。

何時の日にか手賀沼の湖畔で、安田 侃の舞台美術と石井幹子の照明で野外オペラを見ることができる日が来ることを夢見ているのである。

これは蛇足だが、1月15日の読売で、安田 侃が野球大使に任命された記事を見た。五輪の野球復活を目指して、欧州で知名度の高い同氏を名誉会長の東久邇信彦氏と東京五輪誘致を含めてロビー活動を展開するのだそうだ。安田 侃はその高校時代(北海道美唄高)、野球の選手で、大の野球ファンなのだそうだ。
市民活動フェアinあびこ2009  〜世代をこえて♪ ボランシカ〜
2009年2月28日〜3月1日 盛大に開催
★会場はこれまでのアビスタに、けやきプラザと湖北地区公民館を加え、イベントを拡大して開催されました。市民活動団体に企業・学校・福祉作業所を加えて105団体の参加。これまでで最大の規模になりました。当会はパネル展示で参加。美しい写真に来場者も賞賛。

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