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歴史景観散策会のモットーは | |||||||||||||||||||||
※解像度の大きな写真は、当会会員■迷い鳥さんのブログに載っています。 | |||||||||||||||||||||
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以下は、2010年2月5日に関係者10人で下見を行った報告です。 | |||||||||||||||||||||
●東我孫子駅南口(我孫子ゴルフ側)9時20分出発 | |||||||||||||||||||||
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C市民農園 トイレ休憩地 | |||||||||||||||||||||
Dはけの道 関東平野は、1万年前以降から縄文時代末期(6000年前)にかけて海水準の上昇があり、その後、大変急激な海面降下がありました。そのために関東平野の水系は著しい侵食を受け、現在のはけの道♂いの崖が作られました。我孫子の崖には火山性の砂礫層と粘土層が堆積しているため粘土層の上部に地下水が集まります。地下水は崖で湧出し、路に「はけ」ています。この公園下は、我孫子で最も「ハケ」る水量の多いところではないでしょうか。 |
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E日立総合経営研修所 | |||||||||||||||||||||
F滝不動尊 我孫子の古代の社寺十指六番目に入るお堂は、将門の乱(天慶3年・940)以後の寛和2年(986)に損壊したと伝えられています。損壊の原因は定かではありませんが、将門の乱が納められた跡であることを想うと意味深です。 成田山新勝寺と同じ空海作と言われる不動尊の御像は、その後中峠の地を流転して、現在は中峠不動尊の胎内に納められているそうです。 境内には、八百年を経た江戸元禄後の寛政十一年(1799)と刻まれた滝前山宝積寺不動明王の石像と石組があり、第三三番土佐の青龍寺霊場となっています。入口の石段左の滝修行場に祀られる「竜が巻きついた宝刀」は、不動明王の化身です。滝不動の水は、社殿下と不動尊脇の池から導水されて石造の竜の口から流れ落ちています。 |
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G我孫子ゴルフ倶楽部 | |||||||||||||||||||||
H近隣センター “こもれび” トイレ休憩 当初、この山林地帯の一部は、住宅地として開発しました。昭和8年ゴルフ場が完成した後の、昭和6〜15年頃は、首相近衛文麿公の山小屋風別荘でした。しかし、間もなく火災で焼失してしまったと言われます。 周辺はコナラ、イヌシデ、クヌギ等の樹木が多く植えられていました。当時珍重されたヒマラヤ杉など、現存の巨木、樹林は当時庭木として植えられていたと見られます。 |
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東我孫子駅 12時丁度に無事到着しました。 | |||||||||||||||||||||
●問題点 国道356号とふれあいライン横断時の6か所の横断個所がある ●対応 黄色旗を3本作って旗振りを行います。 |
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帰路JR時間表 | |||||||||||||||||||||
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