我孫子市役所 景観推進室長       森 晋野
  景観あびこ第100号の発行、おめでとうございます。先日、我孫子の景観を育てる会(以下単に会)の会長様から、唐突に「実は景観あびこ第100号の発行なんですよ」と話かけられ、「凄いですね、おめでとうございます」と応じたところ、100号に寄せて記事を書いて欲しいと依頼されました。会とのお付き合いの期間が、現職員の中で私が一番長いからだそうです。

  景観に力を入れている他の市を視察すると、景観にはちょっとうるさいというか、こだわりがあると自負される、一風変わった芸術肌の方がリーダーとして専任されている場合が多いように感じます。それだけ景観という仕事は行政においてある種特殊な仕事なんです。それに比べ、都市計画課長兼務で景観推進室長を任されている私は適任者ではないように感じており、職員と会の方々には頼りない室長で本当に申し訳ないと思っています。この行政側の貧弱なパワーと比べて、会のパワーの凄さは尊敬に値します。

  我孫子のいろいろ八景選出から、八景歩きイベントの実施など、着想アイディアから行政を動かして実施するまでの実行力は卓越しており、全国的にみても有数の、秀逸な会と言えるでしょう。手厳しい評価で有名な、学識経験者らによる本市の事業仕分けにおいては、大半の事業が見直しや、要改善などの判定が下されるなか、八景歩きについては大変な高評価で、このまま継続という判定を得ています。

  しかもその際、「行政が会に"おんぶに抱っこ"状態で頼りすぎている、もっと行政側がリードすべきだ」などといったコメントまで頂戴する有様でした。それだけ、この会のパワーは凄いのです。これは歴代会長の優れた統率力と会員一人一人の協力体制、信頼関係の賜物なのではないでしょうか。
  自由闊達な議論をしつつも、個々に我が儘をとおさない、最終的には個を出し過ぎず、他と協調する姿勢、このバランス感覚を、会員の交流の中で各自が培っている結果なのだと思います。そう考えると、これはまさに"景観とは何か?"という難しい問いかけの答えに通じて行くような気がします。

  私の住む住宅地は緑地協定がかかっているため、毎年生垣や、庭木の剪定が大変です。自分も還暦が近づき、年々体力の衰えが顕著になり、剪定中に脚立から落ちたこともありました。芝生に落ちたため、幸い怪我をしないで済みましたが、いつまでこの生垣が維持できるのかが心配です。でも、自分が綺麗に緑の手入れをすることで、街並みの景観の連続性が保たれています。個を主張せず、周りと協調することが良好な景観の創出、維持に繋がるんだろうなと思います。



  最後に、私もそうですが、会においても高齢化が課題とされています。会の存在は本市にとっても財産です。若い世代がもっと景観に興味を持っていただけるよう、自分にできることをやりましょう。焦らずに、無理せずに。
「景観あびこ100号記念」に寄せて                冨樫 道廣(会員)
  我が会報紙「景観あびこ」の歴史的な100号記念紙に原稿を依頼されたことは、微力ながら、創刊の現場に関わった一人として光栄この上なく、感無量であり、感謝に堪えません。

  これまで100号までの長き、20年になんなんとする時間を歴代の会長副会長はじめとする担当役員のご努力はいかばかりだったのかと想うとき、只々頭の下るところです。

  早速、当時の頃を遡ってみると、役所に押し付けられた「景観」という単語にどうしてもなじめず、今まで、日常使われた「風景」、「景色」、「眺め」と言う表現、概念と何時合体できるのか、でなければ、それぞれの表現と併存して共生できるのかと悩みながら、とにかく市民の皆様にこの「景観」を理解していただかなければと、先ず広報活動を一念発起したものでした。

 そもそも私たちの住むこの我孫子には景色のいいところがいっぱいあった。昔から有名な文人墨客が集まり住んだものだと教えられたものでした。それをどの様に優先順位をつけ維持し、育てて行くのが私たちの仕事と認識していたものでした。
手賀沼公園にあったポプラ並木
  その昔景観条例ができる少し前だったと思うが、我孫子、柏、沼南の2市、1町で『手賀沼を生かしたまち作り』というプロジェクトが策定されたことがありました。そこで我孫子が声を大にして主張した『手賀沼の風景』とは、1つ目は『根戸城址から見下ろす手賀沼』 2つ目は『三樹荘の大シイの大木から見下ろし、柳宗悦が感激したという、朝日と夕日に輝く手賀沼』そして3つ目は『日立総合経営研修所の庭園の中、観月亭から見下ろす田植の終わった新田を含んだ手賀沼』だったのです。
  このいずれも私有地で、日常一般の人は入れません。この難題の糸口を見つけようと、日立営研の庭園公開の日にあたり、研修所の教室をお借りして、この3か所の所有者に出席してもらい、スピーカー、パネラーをお願いして「私有地の公開と維持管理」についてという小型のシンポジウムを開催したものでした。

  出席いただいたのは根戸城址の日暮朝納さん、三樹荘の村山正八さん、営研の森部長でした。多くの有り難いお言葉を頂戴したのですが、その中で今でも心の底に響いて記憶鮮明なのは、日暮さんの力強い言葉でした。それは「皆さんがお望みであれば、何時までも手入れしておきますから、何時でもおいでください」ということでした。

根戸城址のある山林
  併し残念ながら、あれから何年経ったのか皆変わってしまいました。沼辺にあったポプラもありません。しかし私たちの記憶の中にはっきり見えています。人間とは記憶の中に生きる動物です。外国の例で申し訳ありませんが、昔住んでいたブレーメンの街で一番大きな公園ブルガー・パークに、ある時とんでもない大きな雷が落ちて、真ん中の大きな木が真二つに折れてしまったことがありました。これで公園も変わるなあと思っていたところ、1週間ぐらいして雷の落ちた場所に行ってみて驚いたのは何の変わったこともなく、同じような大木が枝を張って青々と手を延ばしていたのです。

  景観とは一瞬のうちに変わるものです。人間が生きているのと共にある景観は手入れをし、育てていかなければならないものと思っているこの頃です。
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