「景観」あれこれ                        織田 和子(会員)
景観審議委員の何期目かの在任中、我孫子市から景観の会を作ってほしいと要望があり、当時の審議委員皆で会を立ち上げました。

その頃、日立研修所の庭園とそこに居るカワセミを見て、その美しさに驚愕しました。

広く市民の皆さんも楽しめたらと思い、冨樫道廣さんと清水昭子さんとわたくし織田と三人で、日立総合経営研修所に行き、庭園公開について相談したところ、好意的感触が得られました。協議が重ねられ公開の運びとなりました。

早速当時の我孫子市長の福島浩彦氏が来園され、お茶室担当だった私は、抹茶を差し上げ、しばし歓談致しました。

旧村川別荘について当主の村川様にご報告や、ご協力のお願いのご挨拶に、東京都文京区小日向のご自宅を訪問し、色々興味深いお話を伺いました。村川様宅は、図らずも、私の学生時代の通学路、茗荷谷駅付近で、勉学に励んだ(?)母校東京教育大学の茗渓の薫りも感じることの出来た、村川様ご自宅訪問でした。

そして、我孫子の旧村川別荘(右の写真)では「竹灯籠の夕べ」を開催する準備で、竹灯籠作りに太い竹を担いだり、ノコギリで切ったり、ちょっとした大工さん気分も楽しめ(?)ました。

旧村川別荘について当主の村川様にご報告や、ご協力のお願いのご挨拶に、東京都文京区小日向のご自宅を訪問し、色々興味深いお話を伺いました。村川様宅は、図らずも、私の学生時代の通学路、茗荷谷駅付近で、勉学に励んだ(?)母校東京教育大学の茗渓の薫りも感じることの出来た、村川様ご自宅訪問でした。
現在は旧村川別荘のガイドの皆さんのシフト作成に毎月教育委員会に伺っています。ガイドの皆様の希望日が重なることが多いのが少々むずかしいところです。

旧村川別荘について当主の村川様にご報告や、ご協力のお願いのご挨拶に、東京都文京区小日向のご自宅を訪問し、色々興味深いお話を伺いました。村川様宅は、図らずも、私の学生時代の通学路、茗荷谷駅付近で、勉学に励んだ(?)母校東京教育大学の茗渓の薫りも感じることの出来た、村川様ご自宅訪問でした。 景観の「美」を追求するのと共通点のある陶芸を「あびこ陶友会」で制作活動を続けています。雑用をしたり、会長をしたり等、また障害センターや中学生にも制作技術支援をしています。

 「我孫子の景観を育てる会」設立当初はちょっとおこがましい会名かな、とも思いましたが、会員の皆様の素晴らしいお働き、ご活躍で、立派な隆盛な会となり喜んでおります。
旧村川別荘
旧村川別荘 (竹灯籠の夕べ・ひなのまつり)           西村 美智代(会員)
「水辺に住みたい」と移ってきた我孫子。沼の岬にすっくと立つポプラ。風になびく柳。手賀沼は美しかった。昭和56年頃である。しかし、遊歩道を歩くと漁業池周りの沼は、コバルトブルーのアオコがびっしりと。臭気にたまらず鼻をつまむ。そのころワースト1と騒がれた手賀沼の様相に何とかならないものかと心中思った。

そんな折、広報あびこで「我孫子の景観を育てる会」の存在を知った。かねがね街は美しくありたいと願っていたので、何故「景観を守る」でなく「育てる」のか意味がよくつかめないまま入会した。入会し、学習する内に美観を創造していくのだと、「育てる」の意味を納得した。
旧村川別荘のひなのまつり
楚人冠が「一度壊れた景観は二度と戻ってこない」と沼を巡っての各種招致運動に強く反対し沼の景観を守り抜いたことを知った。先人たちの並々ならぬ努力があったからこそ今の美しい沼が残った。その財産を守り、新たな美を生み育て、次の世代に渡すのが今を享受している私たちの責務ではなかろうか?

我孫子には沢山の財産がある。ゴルフ場や日立庭園。白樺派の遺産の公開、八景を発掘し皆で歩くのは、まさに「育てる」になる。

「竹灯籠の夕べ」は村川別荘の斜面に竹灯籠を並べ、灯をともし、幽玄の世界に誘う催しである。当初は会員が鋸で竹を引き灯篭も手作りした。腰痛と闘い乍らの作業であったが楽しかった。大風と雨の中、倒れた筒を立て直し、消えたろうそくを付け替えるのに大忙しの日もあった。

「ひなのまつり」は立派な八段飾りのお雛様を戴いて始めた。別荘の和室に良く似合った。(左の写真)初めの頃、お客様に抹茶を振舞いおっとりした雰囲気の中で集い合った。

我孫子に残る数ある財産を生かし、美を加え更に魅力ある街にしていくことが、景観を育てることだと今では思っている。
私のボランティア歴15年                    柏原 健子(会員)
友人に誘われ、三樹荘の清掃ボランティア「三樹会」に参加したのが平成17年7月でした。市の景観重要樹木に指定されたスダジイの大木3本、ケヤキ3本の庭と、天神坂の落葉の清掃です。皆さんと汗を流し、作業後にあずまやで茶菓をいただきながら、お話を聞くのが楽しみでした。

その縁で、景観の会に入会したのは、2年後の6月です。初めて定例会に出席して、皆さんの熱意に触れ、我孫子の事を何も知らない自分に驚き、すべての行事に参加することに決めました。前会長吉澤さんの回顧録は、入会後の私の記録ともいえます。

・「歴史景観を探る会」:受付の手伝いをしながら、我孫子の 町に一歩を踏み出しました。
・「オープンガーデン」:車に分乗して、市外にも出かけ、楽しみました。
・「日立総合経営研修所庭園公開」:茶庭「ほととぎす」での 茶菓の接待用に茶器などを備蓄しました。
・「市民観桜会」:毎年、桜の季節に我孫子ゴルフ倶楽部のコースに入る事はスタッフとしても、市民の皆さんの楽しげな様子にも二重の喜びを感じます。後日、日本女子オープンの試合も観戦できて満足でした。
・「景観散歩」:三樹会員として栃木市(第2回)から参加、第1回の真壁市は再訪の機会があり、全回参加した事になりました。(右の写真)
・「新四国相馬霊場巡り」:盛夏の陽射しの中も、降り積もっ た雪道も若さで乗り切り結願(けちがん)しました。
・「我孫子のいろいろ八景歩き」:全12コースを歩き、新しい発見もあり、このまちに一層愛着が増しました。
・「おでかけ倶楽部」:行き先は、どこでも大歓迎、最高に楽しみな企画です。
・「新春手賀沼ウォーク」:来春が10回目、体調次第ですが参加したいです。

その他たくさんの行事を体験した15年でした。会員の皆さんとの繋がりが、楽しく活動を支えてくれて、我孫子をとことん知ることが出来、三樹会と我孫子の景観を育てる会が私の心の糧となっています。


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