私の"我孫子らしさ"                      宮内 昭男(会員)
「景観あびこ」には何回か掲載の機会があり、その都度自分を見直すことが出来ました。その中で、龍ヶ崎市に引っ越した私にとっては<シリーズ「我孫子らしさ」>の掲載が思い出されます。題名は、<マンションから「ミタ」>で、今回は100号記念の文章に、以下仕上げてみました。

「夕方、日が沈みかけて、空が紅の色に染まるころ、沼ごしに富士山をいく度見たか分からない。『入(い)り日(ひ)が綺麗だ』『富士が素敵だ』、一家の内で先に見つけたものがこう叫ぶ。 - - - ここは地上の美しい場所の一つと自分はよく思った」この文章(抜粋)は、柳宗悦が大正三年ごろ我孫子の天神坂に住んでいたころ書かれた『我孫子から』という作品に書かれています。
夕暮れの手賀沼越しに富士山を望む
今もこのような風景は、場所により見ることができると思いますが、気がついてみると昔富士山が見えていた場所も、今は見えないところも増えたことと思います。
富士山を始め、昔見えていた風景が現在見えなくなってしまった要因は様々なことがあると思いますが、その一つに日立精機の跡地を始めとして建てられた高層住宅(マンション)によるものもあるのではないでしょうか。

マンションに住んでいる方、ご安心下さい。ここから記述することは、我孫子にとってマンションをはじめとする高層建物が、今や「我孫子らしさ」の一つではないかという話です。

自然も感動できる美しさがある反面、殺伐とした殺風景なものもあります。人が介在することで日本庭園のように美しい風景になる場合もあり、このことは建物にも当てはまる場合があるのではないでしょうか。


我孫子駅北口に広がる日立精機跡地のマンション群で最初に完成したのは、「モアクレスト我孫子ヒルズ」で竣工は1994年ごろと記憶しています。「我孫子ヒルズ」裏(国道側)の「くら寿司」当たりは、日立精機のゴルフ練習場(打ちっ放し)があり、私も当時利用させてもらいましたので、ここの開発には関心がありました。この後、「エールの丘」「シティア」「グランレジデンス」「アクアレジデンス」と続き現在のマンション群となっています。

この一連の開発は、旧日立精機の緑を残すことが求められたこともあり、傾斜地の多くの樹木が残されていることに加え、「グランレジデンス」と「アクアレジデンス」の間は、当時殺風景だった空間(駐車場?)が、見事な街路樹となっていて今や「我孫子らしさ」の景観の一つとなりました。

おめでとうございます                     滝日 一子(元会員)
景観あびこ第100号、本当におめでとうございます。
  広報部に在籍していた者として心から嬉しく、いろいろなことが走馬灯のように頭にいっぱいになりました。

私にとって我孫子の景観を育てる会は、今でも身近にあって、バス旅行、市民観桜会、日立庭園公開等々、みんなみんな楽しい思い出です。
家と駅の往復のみで終わってしまうところを、会のお蔭で我孫子の色々なことを知ることができました。まだまだ未知の我孫子に興味津々です。

今後のますますのご発展を心から願っています。
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