「景観あびこ」第100号達成〜万歳!             濱田 洋子(賛助会員)
2001(平成13)年6月に「我孫子の景観を育てる会」が発足、翌2002年3月29日「景観あびこ」第1号が発行されました。19年間で第100号を達成しました〜おめでとう!!
  原稿を寄せる人、取材する人、編集する人、読んでくださる人〜「景観あびこ」に関わった数多くの人々の思いが繋がった100号です。

記憶をたどると、「景観あびこ」の編集に関わらせていただいたのは第1号からだったと思います。編集人 清水昭子さんに誘われたこともありますが、編集の仕事が好きだったのです。小学生の「学級新聞(ガリ版)」に始まり、「学生新聞」「社内広報紙」と関わったことが感覚的に役に立ったかと思います。PCでの編集技術は習得できないので、もっぱら「校正」に重点を置きました。編集委員の皆さんとわいわい意見交換しながら、印刷発行に漕ぎ着けた達成感は、何物にも代えがたい喜びでした、ありがとうございました。

編集委員の皆様、素晴らしい「景観あびこ」をこれからもよろしくお願い申し上げます。
「景観あびこ」創刊号
2002.3.29発行
振り返り                    飯田 俊二(会員・編集委員)
景観あびこ100号記念号に立ち会うことになると思ってもみないことでした。
第27号(2008年7月)から第53号(2013年1月)まで編集人として発行に携わり、50号記念号にも関与しました。まだモノクロの時代です。
市民活動ステーションで印刷、とじ込みを行っていたこと思い出します。カラー化が主流となり、割り付け、飾りなど新たな技量の必要とされる昨今です。
「景観あびこ」の編集に携わって                    秋田 桂子(会員)
「景観あびこ」100号、おめでとうございます!元々、文字を書いたり読んだりすることが好きな私が編集委員になったのは、2013年7月の56号に編集後記を初めて書いていますから、2013年当初頃でしょうか。

本年1月まで約7年間も関わっていたことになりますが、皆さんの文を編集会議で読ませていただくのは、楽しいひとときでした。誤字・脱字を見つけるのも大事な仕事です。「丘陵」を「給料」という変換違いを見つけた時などは、思わず嬉しくなってしまいました。
取材活動も面白く、「まちの美化に取り組む人々」では生きがいをもった方々のよい笑顔に接して生き方を学ぶことができました。活動を続ける力に感嘆してしまいます。逆に、訃報を載せる時の切なさも味わいました。

今は、一会員として思うことを書ける場があることは幸せと感じます。これからも会のビビッドな動静と会員の熱い思いを綴り続けていただきたいと思います。

広報部でのひととき                     滝日 一子(元会員)
昔々の事になりました。先ず原稿をお預かりする。読み合わせ、字数を考えてのレイアウト等々。出来る迄にはそれぞれの決まった順序があり、何回か集まりが持たれます。

印刷が終わり、出来上がって封筒詰めの時は、達成感にホッとしながら名簿を見て部数を数え封筒に入れていきます。経費節約のため、なるべくポスティング。封筒はお返し頂き、決めた所にまとめてお持ちするとか考えたものです。
前会長はその都度大きな今でいうショッピングバッグをお持ちになり、ごそっと持ち帰って下さいました。広報の皆様はそれぞれお忙しい方ばかりで、お茶を飲む等寄り道したことは余り記憶になく、合間合間のおしゃべりが楽しかったのを覚えています。

≪広報部会≫
  <編集委員>  鈴木洋子(編集長) ・ 飯田俊二 ・ 中塚和枝
 <校正担当> 宮内昭男  <ホームページ担当> 龍岡慎一 
 <封入・発送> 柏原健子
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