我孫子の景観を育てる会 第38号 2010.7.17発行
発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
編集人 飯田俊二
シリーズ「我孫子らしさ」(15) 〜私にとっての「我孫子らしさ」〜            小谷 滋(会員)
この4月、何年か前に庭木に架けた巣箱で四十雀(しじゅうから)が初めて子育てをしてくれました。野鳥達も、我孫子の立派な景観の一端を担ってくれてる訳ですから、無事の巣立ちを願いつつ、観察しました。狭い庭ですので、二回、猫が巣箱を狙った時は裸足でとび出しましたが、それ以外は、なるべく外に出るのを遠慮し、室内から見守りました。孵化してからは、親鳥達は大変です。まだ寒くて生餌は見つけにくいでしょうに、どこで捕らえるのか、15分位の間隔で青虫や赤い虫を咥えて戻ってきては巣に飛び込みます。そして、雛の糞を咥えて飛び出します。

雨の日も風の日も頑張り抜いて、やがて、約二週間ちょっとで巣立ちました。無事の巣立ちは嬉しいのですが、後の寂しさが大きいのには我ながら驚きました。来春、また来てくれることを念じるばかりです。

我が家の周囲では、鶯が毎年長い期間鳴いてくれてます。初夏になると、畠をやりながら「上手だね」と思わず褒めるほど奇麗に鳴く日が多くなります。今年はこじゅけいも元気です。ホトトギス、めじろ達も美声です。私にとっての「我孫子らしさ」は、こんな野鳥達に出会えることといえましょうか。手賀沼の白鳥親子も見飽きませんね。

私達一家は、昭和48年に良い住環境を求めて東京から当地へ移ってきました。緑二丁目です。我孫子在住のかつての同僚に「○子ちゃん、どっか良い土地はないかねえ?」と電話したのに対し、「有る、有る」との彼女の返事、これが我孫子市民になるきっかけとなりました。

地主である彼女のお母さんが優しい地価にしてくれたこと、小学校が近いこと、それと千代田線が直通していることも決め手だったのです。始発の千代田線には助けられました。通勤を眠って行けるんです。冬、毎朝長く座っていて、足の指先に霜焼けが出来てしまうのは計算外でしたが、駅前の何とも地味な街並みも気に入りました。たまたま、雪の日の翌日に下見に来て眺めた楚人冠公園と手賀沼の雪景色、これには感動しました。
そして、いよいよ移り住んで来た我孫子は、人々は穏やかで、野菜は美味、物価は安く思えました。特に我が家の北側に杉村楚人冠さんの住まわれた屋敷があり、鬱蒼とした庭園は緑濃く、いつも静寂、そして、台風が来てもその森が私たちを風から守ってくれます。この森のお蔭と思うんですが、冬の寒さは柔らか、また、お客さんの中には夏の涼しさを「軽井沢みたい」と言った人もいます。難点を探せば、家内の買い物が線路をこえた向うのスーパーで、自転車ではちょっと不便だったこと、家のまわりに夏蚊の多いことぐらいでしたか。それと、雪の遠景の素晴らしかった手賀沼が、近くへ行くと水が臭くてどす黒く、無残だったのには落胆しました。台風が来て増水すると我が家が水害の危機にさらされるのも驚きでした。

そんなふうに住み始めてから40年近い歳月が過ぎました。今では、下水、公園をはじめ諸々の公共施設も整備され、商店も増えて各段に住みよい美しい街になりました。そして何よりなのは、手賀沼がワースト・ワンから立ち直ってくれたことです。これが我が家にとっては大きいんです。家内は、毎日湖畔を歩くことで、持病が楽になったと感謝しています。彼女に言わせますと、沼の水、空、景色は毎日変化して飽きないし、どこへ旅行しても、帰って沼畔を歩きたいと思うとのこと。夕焼け空、それが湖面に映るハーモニーの美しさ、特に秋が最高だそうです。私も時々付き合いますが、夜の月も良いんです。沼は「我孫子らしさ」の頂点と思えます。こんな素晴らしい我孫子の景観は、守り、育て、そして大きく言えば青い地球を子孫に残すことにつなげたいです。私も使う洗剤に注意する、生ゴミを土に帰す、美しいまちづくりに参加するなど、自分に出来ることは実行しています。

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