我孫子の景観を育てる会 第39号 2010.9.18発行
発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
編集人 飯田俊二
シリーズ「我孫子らしさ」(16) 〜わたしの我孫子考〜            松村 定雄(会員)
我孫子は常磐線沿線の緑と水の豊かな首都圏の小都市である。隣接する柏市などが高度成長期を経て、飛躍的に拡大発展してゆく裏で、ひっそりと眠り続けていた感がある。この我孫子を知ること無しではその「らしさ」を語れる筈は無いものと、歴史散策や文化人の遺跡めぐりや手賀沼周辺の風土に多大の関心をよせ、動き廻ることを心掛けている。

私が終のすみかにこの地を選んで33年になるが、独特の地形と河川や沼の佇まいに触れるにつれ、すっかり我孫子が気に入っている。しかし当時はこの常磐線の沿線に住むことなどは全く選択肢に無かったものだ。俗説によれば、東京またはその近郊に住居を選ぶ時には、出身地に少しでも近づく路線に沿って求めるという。例えば私の場合は南信州から上京し終着駅は新宿で、出来る限り中央線沿いに住みたいと考え、多くの同郷の友人もそうしていた気がする。

常磐線の場合、茨城や東北地方の出身者が多いのかは定かではない。ただ他の路線に較べて開発のスピードは遅れて、競輪開催のマイナスイメージもあって、住みつくことへの抵抗感はかなり高かった。しかし我孫子市はその地形からみて大型の工場誘致などの施策も無く、乱開発からのがれて、静かな住みよい街づくりへ歩むことになったと考えられる。この地形は他のどこの都市にも類似をみない極めて特殊な細長形状で、そのことが「我孫子らしさ」の基幹になっていると理解している。

勿論「らしさ」を語る時、それは良い面を捉えようとする前向きないわゆるプラス思考の表現であって、「自慢」「満足」「個性化」などの切り口が「らしさ」を決める鍵となる。これらは客観的にどうかではなく、一人ひとりの感じ方で語られることで足りるし、従って十人十色の「らしさ」があって良いことになる。
そこで私は固有の地理的資源である地形に注目したい。古くは北に香取の海と南に手下の浦に挟まれた細長い小さな半島である。そして断面は台形状の上辺部には豊かな森林の中に多くの貝塚や古墳が点在し、歴史を刻んだ先人達の暮らしが偲ばれる。この半島が現在丸ごと我孫子市となって、一体市の中心部はどこなのか迷うことになる。殆んどの都市には中核となる街部分とそこからの広がりが見られるが、ここには無い。台地の東西にJR成田線が伸びて、その5つもある駅ごとに小さな拠点をつくり発展してきたようである。また各地域では近隣センターを活用しての街づくりや互助活動で地道な自治活動が根付いてきている。そして市全体に及ぶにつれ、すばらしい「我孫子らしさ」と育ってゆくであろう。

次に我孫子に欠くことの出来ない手賀沼に注目したい。台地から見下ろす沼の眺めは格別である。更に沼辺に降りて遊歩道を歩けば桜、柳、ニセアカシヤなどの並木やメタセコイヤの広場など小さな景観のオンパレードである。一方柏側の縁道と称する堤防道路は樹木も少なく、暑い日の陽射しや寒い日の強風を防ぎようもない。水鳥などを観察しながら手賀沼越しに一望する我孫子台地の全貌は、大パノラマで景観あびこそのものである。また手賀大橋は眺めても良し、渡り歩いても良しの自慢できる美しさである。

悠久の年月が育て上げたこの我孫子をしっかりと受け止めて、良い点を次世代に引き継いでゆけるようにしていきたいと思う。
手賀大橋
手賀沼と大橋を見下ろす
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