入会に当って思うこと ―その2―                         桜井 幹喜(会員)
■前号からの続き)

この頃自転車で通い始めたのが浅野昌子さんの文章で少し出てくる古利根沼でした。家庭排水や工場排水の流入も少なく、東側の川砂も根こそぎ取られるようなこともなく、葦や蒲(ガマ)が生い茂り水質浄化の役割を果たしていました。5月になると産卵期を迎えた大きな鮒や鯉が背びれを見せて走り回るそれはそれは豪快なものでした。30匹、40匹、数えれば100匹にも及ぶかもしれない沼の生き物たちの生命賛歌です。水に潜ればタナゴが彩り豊かに群れを成し、手長エビが機敏な動きで逃げていきます。魚の種類も豊富で、うなぎやなまず、その他すっぽんなど思ってもみないものが釣れていました。

ところが、取手側から粗大ごみを捨て、上から土を被せるという巧妙な埋め立てをする人が出たり、砂(以前は利根川だったわけだから良質な川砂がとれた)を採るのに20メートル近く掘ったり、どれも分割所有者がすることだから異論は挟めません。釣り師もまた沼への感謝を忘れ、ゴミは散乱するは、自分勝手な釣り桟橋を作り沼面に出っ張らせるは、我孫子側の湧水のある湿地帯に足を踏み入れ、貴重な湿地の動植物を痛めつけるは(この地域は冬になると霜柱が五層にも六層にもなる我孫子でも珍しいところ)、果てはフィッシングをやりたいためにどこか他で釣ったブルーギルやブラックバスを放流するはで、どんどん沼は傷ついていきました。工場廃水は止まらないまま、家庭からの汚水も上流に家が増えたぶんだけ増加し、ついに最早これまでと沼が絶叫を上げる日が来ました。

ある風の強い日の翌朝、大量のカラス貝の死骸が沼辺に打ち上げられました。酸欠によるとも汚染が原因ともいわれましたが、ここを自然観察のフィールドにしていた東葛飾高校の生物部の担任の先生が、生徒たちの手を借りて集め数えたところ、1万5千枚は超えていたそうです。この貝は淡水では日本最大のもので、30センチほどのものも見たことがあります。硬くて食べられませんが、タナゴはこれに卵を産みつけ育ちます。母親を失ったも同然ですからタナゴも全滅、どの水辺からもあの美しい群れは姿を消しました。
こんな汚い沼の漁業権を持っていて何になる、水面下の土地の権利など何の役にも立たない、相続しても意味がないから売ってしまえ、そんな地権者たちの心理を読んだのが開発業者です。東京ドーム6個分とも8個分ともいう沼で、旧利根川の流れが急なところでしたから、残った川砂の良いところを採掘しそれで儲け、行き場のない産廃や粗大ごみの捨て場所にしてそれで儲け、上から山土でも被せて宅地造成しそれでまた儲ける。そんなに儲けてどうするの?と聞きたいほどでしたが、世間はバブル真っ盛りの時代、狂っていました。

資料を見ないと正確にはわかりませんが、沼は90筆近くに分けられた分割所有でした。全部を開発業者が入手していたわけではありません。また渡辺藤正市長の時代に一筆我孫子市名義にしています。また取手市と我孫子市の境界は沼の真ん中にある(取手側は随分埋め立てられ家も建っていますから、地図を見ると取手寄りになっている)はずですが、これが何度測量してもはっきりしない。つまり千葉県と茨城県の県境が沼の途中で消えてしまっているのです。地図でも点線でしか示されていません。

開発業者は土地を買い上げたが、これらがネックになって開発は進まない。利子はかさむ。困り果てた業者はそんな弱みを見せないで、我孫子市に買わないかと話を持ちかけました。それが買った値段の4倍だったといわれています。これを「朝日新聞」がすっぱ抜き、沼の深くに隠れていた鯉が空中に跳ね上がったかの如く、水面下で密かに進んでいた悪巧みを広く市民が知るところとなりました。昭和の末年、年が変わり8日になると平成になるという年でした。

浅野昌子さんのいう市民運動、古利根の自然を守る会の運動はこうして始まりました。(完)
「生物多様性保全につながる企業のみどり 100選」に
                                      日立総合経営研修所庭園が認定される
 
春秋の庭園公開で我孫子市民にはおなじみの、日立総合経営研修所の緑地が、「生物多様性保全につながる企業の緑100選」に認定されました。

永年にわたり、斜面林、庭園緑地、低湿地の保全に力を注いできた、(株)日立総合経営研修所、(株)日京クリエイトのご努力がここに結実したものであり、この認定を市民の皆様と共に喜びたいと思います。
日立総合経営研修所のお話では、市民への庭園公開も認定の要因であったと聞きまして、当会にとっても我孫子市にとっても名誉であり、誇りでもあります。

今回その16回目の公開を控え、景観はもとより生物多様性保全にとって大変貴重な緑地が市内に存在し、公開を受け入れていただけることにあらためて感謝の意を表します。(吉澤淳一)

■もどる