我孫子の景観を育てる会 | 第42号 2011.4.16発行 発行人 吉澤淳一 我孫子市つくし野6-3-7 編集人 飯田俊二 |
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シリーズ「我孫子らしさ」(19) 〜 ひとり言 〜 飯塚 三雄(会員) | |||||
●「我孫子らしさ」の歴史・文化・地理等については、このシリーズでたくさんの方々が語られてきたので、今回は、小生が我孫子人になってからの移り変わりの1片を「ひとり言」にしてみました。 ●こどもの就学を期に我孫子市高野山に小屋を建て、東京から一家4人で越して来てからちょうど30年になりました。何んで我孫子市高野山に? それは「飯塚に家を持たせ隊」が、とりあえずはと探してくれたのが我孫子市高野山で、「まっ、いいか!!」で決まりました。真面目に家探しをしていたらと後悔しているわけでもなく、「住めば都」だけではない何かを感じながら、それなりに楽しんで暮しています。 ●当初、上野から約35分、特急が停車する我孫子がなんでこんなにローカル色豊かでいられるのかが不思議でした。また、斜面林に囲まれた手賀沼やポプラの大樹が素敵だった手賀沼公園を見て、この景観は我孫子の宝だと思いました。しかし、我孫子は少しずつ移り変わってきました。 ●明け方の鳥の声がうるさくて寝られないと文句を言う子どもが、窓を開けて「鳥さ〜ん静かにして下さ〜い」と叫んでいたほどだったのに、今はその当時の1割の鳥の声も聞こえなくなってしまいました。泳いだり魚介類を取って食べたという手賀沼は知りませんが、水面が凍ったり朝霧に包まれる手賀沼は覚えています。映画館は知りませんが、石橋製糸や銭湯は覚えています。呑み屋が並んでいた石橋製糸に通じる線路脇の狭い道や子ども達と遊んだ市民プールも覚えています。 ●新しい物もたくさん出来ました。プラネタリウム付きの水の館がある親水広場、鳥の博物館、アビスタ、けやきプラザ、高野山桃山公園等々。若松の通りはビックリするほど変わりました。また、手賀大橋や手賀沼遊歩道が立派になり、各駅前も整備されてすっかりきれいになりました。手賀沼が水質ワースト・ワンの汚名から脱却した素晴らしい出来事もありました。それから、瀕死の財政事情が続く我孫子市が、企業誘致か自然保護かという難問を抱える中で、あの古利根を我孫子市の財産にしてくれたのは、小生が知る我孫子市の30年間の内で、唯一の偉業だったんではなかろうかと思っています。 |
●さて、移り変わりは我孫子だけではありません。小生も少しづつ変わりました。だいぶ前に近所で小火 騒ぎがあった時、○○さん家が火事ですの知らせに、○○さん家ってどこだ? □□さん家の裏です。□□さん家はどこだ・・・なんていうことがありましたが、今ではすっかり地域に馴染み、ご近所はもちろん、農家のご隠居さん達とも立ち話ができるようになり、思いがけない収穫を得ることもある新しい世界を楽しんでいます。 ●景観を育てる会で、我孫子の歴史や文化をたくさん教えてもらったおかげで、のんびりを楽しんで過ごしていたころとは違う目線で、物を見たり考えたりすることができるようにもなりました。まだまだ成長しているようで嬉しいです。 ●はなしが変わります。先日、市内の酒屋さんに寄り道したとき、「我孫子育ち」と「我孫子自慢」と「布佐」と云うお酒があり、なんとなくウキウキしだして「我孫子自慢」を1本買って帰りました。その「我孫子自慢」のラベルにこう書いてありました。 五本松公園・ふれあいキャンプ場 楚人冠公園 岡発戸市民の森 手賀沼公園 湖北台中央公園 船戸の森 宮の森公園 八坂神社の祭礼 竹内神社の祭礼 あやめ祭り 子の神延寿院の火渡り 我孫子市産業祭り 手賀沼花火大会 湖北祭り
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