我孫子の景観を育てる会 第44号 2011.7.23発行
発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
編集人 飯田俊二
シリーズ「我孫子らしさ」(21) 〜我孫子の町、街を・・〜                                 柏倉 輝雄(会員)
私は昭和54年、我孫子に住まいを決めました。特に明確な意思を持って選定した訳ではありませんが、長男が東京の中学校に通うので、出来れば1時間位の範囲のエリアにしたいという家内の意向が働いたようです。

我がふるさとは山形です。米を作り、蚕を飼い、野菜を作り、柿を屋根下に吊るし、凍み大根を作り、1年中朝早くから暗くなる晩まで家族全員で働き、暮らした思い出の所です。三年前の秋、家内と連れ立って、何年か振りに稲刈りの手伝いをしに帰りました。天高く澄み切った空の下で、兄弟姉妹が集まり賑やかに稲刈りをしました。田んぼの畦道の一角で休憩して遠くを眺めていると、出羽三山の一つの月山が透き通って見えました。そんな風景の素晴らしいふるさとです。そして、もう一つは日本人否、世界の人々が見たNHKの朝ドラ「おしん」で最上川を母と別れて酒田に船で行く雪の降るあのシーンのロケ地、山形県大江町は我がふるさとです。

前置きが長くなりました。わが街我孫子に山形のさくらんぼの記事を投稿した人が並木に住んでおられ、また「柏倉」(かしわぐら)という性の方が我孫子にもおられ心強いかぎりです。我孫子の町、街を我孫子らしさの視点で考察してみました。
 明治29年、今の常磐線が開通しましたが、計画があったとき、当時の町長飯泉喜雄氏が私財を投じて駅用地を無償提供し、駅の誘致に尽力され我孫子駅が開設されました。その記念碑「停車場の碑」が南口駅前にあります。

大正、昭和の時代に多くの文人や企業家が我孫子に住まいや別荘を造ったのも、我孫子駅が開設され、手賀沼を望む緑豊かな町の魅力に惹かれてのことと推測されます。我孫子駅の北口も南口も近接地区の駅前とは一味違います。ターミナルビル、商業ビルもなく、また駅前百貨店もなく、歴史のある町としては特異な街並みと思われます。
昭和の高度成長時代には、全国各地の駅前は大型店を核とするアーケード付の商店街が町の繁栄の象徴でした。時が過ぎ安定から低成長時代に入り、全国至る所で商店街の空洞化が問題になっている昨今ですが、我孫子の町、街でシャッターを降ろしている商店は非常に少ないと思われます。

我孫子には「伝統の味と匠」「我孫子市ふるさと産品」の店舗があります。私は毎週金曜日に「手賀沼歩こう会」に参加していますが、いつもアビスタの1Fロビーに立ち寄ります。その横の喫茶「ぷらっと」で目に留まったのが「白樺派のカレー」でした。散歩後の空腹を満たしてくれる味噌の味がするおいしいカレーです。我孫子らしさの地元産品です。先人達から現代まで我孫子のオリジナル、他地域と差別化した街づくりがこれからも町の活性化、発展につながるものと確信しています。

最後に我孫子には、「あびこ市民の歌」があります。「手賀沼歩こう会」ではコースの滝下広場で「あびこ市民の歌」をテープでながし、参加者全員で合唱しています。「欅並木を行く君を」「手賀沼はねる夏しぶき」「揺れるすすきの秋穂波」「北は筑波の冬化粧」「君を思えば春便り」と小椋佳の作曲の歌がジンとくるようになった今日この頃の私です。

山形では月山を見て、我孫子では水の館からの我孫子の景観と富士山と筑波山を見て、桃山公園からは田植えする田園を眺め、手賀沼の夕日を見つめる素晴らしい第二のふるさと「あびこ」です。
第11定期総会開催                                                       
平成23年5月28日に第11回定期総会が開催され、平成22年度活動報告、決算報告、監査報告、平成23年度活動計画、予算案、会則の改定、役員、顧問選任の各議案が承認され終了しました。 【新役員の紹介】
会長 吉澤淳一(再任)、副会長 足助哲郎(再任)伊藤紀久子(再任・副会長新任)、幹事 飯塚三雄(新任)、飯田俊二(再任)、柏原健子(再任)、佐々木哲明(再任)、濱野さと子(再任)、会計 柏倉輝雄(新任)、酒井弘(再任)
監査 佐藤雅英(再任)、鈴木英夫(再任)
顧問 富樫道廣(再任)
■もどる ■「私の我孫子らしさ」シリーズの目次へ