我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第54号 2013.3.23発行
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
シリーズ「我孫子らしさ」(30)  〜母をなくして〜               奥山 久美子(会員)
昨年2012年に母は舌癌の末期宣告を受け、母一人子一人の介護生活に我孫子の眺めは今迄とは違う印象になっていました。軒先の梅、鶯の鳴き声、満開の桜、湖面の光、菜の花の黄色い揺れ、軽やかに飛ぶ蝶、青々とした木々等それらの自然は美しく、母とゆっくり手押し車で手賀沼周辺を散歩しました。
夏のある日から母は全く歩けず入院先病院からの眺めを、車イスで窓越しに自然の移ろいを感じておりました。晩秋に入ってのある日、私は母を車イスにやっと乗せ病院正面玄関から思い切って外に出たのです。日差しの傾いた冷たい風が頬を撫で、花壇の秋桜は秋風になびき、黄色に色づいた木々はかさかさと音を鳴らす・・。日暮れどきの空にはねぐらに向かう鳥の群れ、更に常磐線電車の行きかう音・・。

それら全てが我孫子の舞台であり、その舞台での母の姿に私の涙は止まりませんでした。私にとってはそれが年末に亡くなった母との「我孫子らしさ」になっています。

母が癌宣告を受ける前の2010年に、私は我孫子の手賀沼公園で熱気球を揚げる事にチャレンジしました。当時母はすでに認知症になっており、認知症特有の口癖「帰る!」を連発していたからです。家に居りながらの「帰る!」の言葉に「何処へ?」の疑問がわきましたが、終の棲家となる我孫子を熱気球に乗って、鳥の眼で手賀沼の水辺を感じとって貰いたいとの想いからでした。
その日はしだいに湖上の風が強まり、残念ながら母が乗ろうとする目前で中止となってしまったのです。空からの「我孫子らしさ」を感じ取れなかった事、それは本当に残念です。

持論になりますが、景観とは自然のありのままの姿に人の手が入り、守り育てる事かと思ったりします。里を舞台に例えるなら、その地で生きている人々の五感に訴えられる役者達が育って「・・らしさ」になるのではと思うのです。

富山県八尾町での「おわら風の盆」の歌に「見たさ 逢いたさ 思いがつのる 恋の八尾は オワラ雪の中」がありますが、この歌には深々と降る冷たい雪の降る音と、そこに生きる人々の心の温もりやオワラの静の活力を感じ「・・らしさ」が伝わります。

私なりに千葉県我孫子でその歌を引用させてもらえば「見たさ 逢いたさ 思いがつのる てがの水辺に まほろばの里」ではいかがでしょうか。私は我孫子で「まほろばの里」を追い求めて多様に生きる事が私にとって本当の「我孫子はふる里」と自分に言い聞かせています。

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