我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第57号 2013.9.21発行
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
シリーズ「我孫子らしさ」(33)                                                            中塚 和枝(会員)
            我孫子 今昔、そして今思うこと

北新田から我孫子駅方面
我孫子へ越してきた時期は第一次石油ショックが起きた昭和48年だった。「通勤は国電、徒歩圏内、家は屋根があればいい、後は任せる」夫の希望はかなり大雑把なものだった。

何箇所か回り、辿りついた先が我孫子駅。北口の駅前には桜の老木が一本、印象的だった。線路沿いを東に進み、中村酒屋さんの数軒先を左に曲がり6号線にぶつかる。6号線の歩道橋から大きな森の中に白い建物が光って見えた。電研(当時農電といった)だった。

土手の向こうに田圃が広がり、手前に造成工事中の広大な宅地がみえた。我孫子に関する知識の一片もなく、ここに住もうと決めた。列島改造論の頃で、日々土地の値段が上がり、購入の時には整理券が必要だった。販売当日も早朝から並び、土地を取得。埋立地だったので2年間放置し建築。

引越しは石油ショックとぶつかり、洗剤、トイレットペーパーが店頭から消えた。柏まで買いに行った。常陽銀行、ダイエーができ、生活が便利になった。更に石橋製糸がイトーヨーカドーになり、ダイエーが撤退。特急が止まらなくなった。暮らして三十数年、ボランテイアや市民活動にも縁がなく、家庭以外の我孫子の出来事は、遠雷を聞くように通り過ぎた。

6年前に南口へ転居した。先ず違うのは買い物先と散歩コース。以前は、春はあけぼの山の桜やチューリップ、秋は黄金色の田圃道、冬は凛とした筑波山を見ながら利根川の土手へ。今は手賀沼の遊歩道、ハケの道。最も大きな違いは、手賀沼や文人達の別荘を目指すウォーキングの人達を多く見かけること。
時間もでき我孫子について考えることが多くなった。我孫子の特徴は、南に手賀沼を抱え、北に利根川を控えた東西に細長い地形だ。356号線とJR線が我孫子の尾根であり、その各駅から住宅街を通り抜け、坂道を下ると田圃が広がり、間もなく利根川や手賀沼にぶつかる。この地形、この狭さは、商業都市にも工業団地にもなりにくいのだろう。柏、松戸、取手の様な駅前商業ビル街もなく、住宅街だけができた。いわゆる開発が遅れた。幸いだったというべきだろう。

各駅からの道は手賀沼、利根川へ至る。それぞれ趣の違った景色が見える。たとえば日立精機跡地の要塞の様な高層マンション群、6号線から見ると特に夜は美しい。見事な街路樹の長い坂道を下ると手賀沼。ふと振り返るとうっそうとした森がある。すべてが我孫子であり、我孫子らしさだと思う。

少子高齢化の時代の波が来ており、現状のままでは確かに税収増は望めない。しかし、今更、近隣市町村の様なロードサイドや駅前の商業街になったとしても、中途半端なものにしかならない。我孫子には先人達が守り育ててきた有形無形の財産がある。そしてそれを引き継ごうとする人達がいる。過去我孫子に去来した文人達も含めて、人材も我孫子らしさだと思う。

最近思い出すのは、父が初めて我孫子へ来た時の一言「ああ、ここが我が孫や我が子の住む所か。我孫子とはよい地名だ」。私も孫たちに同じ言葉を言ってやれるだろうか。みんなで我孫子を安全で美しい街、人が集まりやすく、誰もがやすらぎ、楽しめて、何度でも訪ねたい街に、そして「よいところに住んでいるのね」と言われるような街にしたいものだ。
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