シリーズ「我孫子らしさ」(35)    
            マンションから「ミタ」                                         宮内 昭男(会員)
『夕方、日が沈みかけて、空が紅の色に染まるころ、沼ごしに富士山をいく度見たか分からない。「入り日が綺麗だ」「富士が素敵だ」、ともかく一家の内で先に見つけたものがこう叫ぶ。 - - - ここは地上の美しい場所の一つと自分はよく思った。』

この文章(抜粋)は、柳宗悦が大正三年ごろ我孫子の天神坂に住んでいたころ書かれた「我孫子から」という作品にあります。今もこのような風景は、場所により見ることができると思いますが、気がついてみると昔富士山が見えていた場所も、今は見えないところも増えたことと思います。

富士山を始め、昔見えていた風景が現在見えなくなってしまった要因は様々なことがあると思いますが、その一つに日立精機の跡地を始めとして建てられた高層住宅(マンション)によるものもあるのではないでしょうか。

マンションに住んでいる方、ご安心下さい。ここから記述することは、我孫子にとってマンションをはじめとする高層建物が、今や「我孫子らしさ」の一つではないかという話です。

自然も感動できる美しさがある反面、殺伐とした殺風景なものもあります。人が介在することで日本庭園のように美しい風景になる場合もあり、このことは建物にも当てはまる場合があるのではないでしょうか。

つくし野の「我孫子ビレッジ」の中・高層住宅は1975年、東急不動産により建設されたもので、当時としては景観に配慮された建物として話題となり、私も憧れたのを記憶しています。この建物のカラーデザインを主導した永田泰弘氏は「景色通信」(抜粋)で次のように述べています。

『建物の外壁の色は、野山や畠などで構成されていた我孫子の色彩をモチーフとした。高層棟3棟、中層棟17棟からなる外壁はフランス「環境色彩」の巨匠、ランクロ氏の手法を取り入れて、統一感がありながら画一化されていない、落着いたイメージの景観を創造した。』

我孫子駅北口に広がる日立精機跡地のマンション群で最初に完成したのは、「モアクレスト我孫子ヒルズ」で1994年ごろと記憶しています。「我孫子ヒルズ」裏(国道側)の「くら寿司」当たりは、日立精機のゴルフ練習場(打ちっ放し)があり、私も当時利用させてもらいましたので、ここの開発には関心がありました。
この後、「エールの丘」「シティア」「グランレジデンス」「アクアレジデンス」と続き現在のマンション群となっています。

この一連の開発は、旧日立精機の緑を残すことが求められたこともあり、傾斜地の多くの樹木が残されていることに加え、「グランレジデンス」と「アクアレジデンス」の間は、当時殺風景だった空間が、見事な街路樹の道となっています。
我孫子ビレッジ

湖北台団地は、当時の「日本住宅公団」により開発され、昭和45年より入居が始まりました。この地は利根川と手賀沼にはさまれ、当時は農地と山林が広がる風景であったと記されています。

現在も緑が豊かのは、街路樹の配置と湖北台中央公園を始めとした公園や広場、野球場、テニスコートが風景に合わせて計画的に作られたことがあると思います。このような場所は、人工的に作られたものではありますが、殺風景な自然では貰えない「子どもが楽しそうに遊んでいる歓声」、その歓声は「聞いている人を幸せな気分にしてくれる」、そのような場所が提供されているのではないでしょうか。
第22回 日立総合経営研修所 庭園公開
2013年12月7日(土)、恒例の庭園公開が開催されました。
当日は穏やかな小春日和に恵まれて、1400人を超すご来場者に、ゆく秋を楽しんでいただきました。

回を重ねるごとに、当催事の知名度が上がり、今回は半数が市外からのご来場で、お隣りの柏市からも沢山いらっしゃいました。毎回、星野市長、青木副市長にもお出で頂き、今回も日立総合経営研修所山田社長のご案内で庭内を巡りました。
準備運営は市民が協力し、「企業・個人が維持する庭や緑地を、地域の資源として市民の皆さんと一緒に理解し支えて行こう」という趣旨が定着してきた感があります。

素晴らしい庭園を公開していただきました(株)日立総合経営研修所、(株)日京クリエイトの皆様に深く感謝申しあげます。我孫子における貴重な景観資産であるこの庭園を、これからも市民の皆さんで守り慈しんで行きたいと思います。詳しくは■レポートをごらんください。(文責 吉澤淳一)
速報! 2014年の第11回市民観桜会は3月31日(月)に決まり
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