第23回景観散歩 =大多喜町= 5月26日              藤田 泰男(会員) 
私たち、景観を育てる会のメンバー等35名は千葉県大多喜町を訪れました。大多喜町の景観散歩については、参加者向け資料「第23回景観散歩 大多喜を訪ねる」がありますので、私は本稿では大多喜町の景観と町づくり、それと比較した我孫子市の景観と町づくりについて述べてみたいと思います。
・大多喜城
大多喜町は 現在、人口9,792人(2016年2月1日現在)千葉県東部の人口減少が続く町の一つでもあります。町おこしとして、大多喜町は 昭和50年に「大多喜城天守」をつくります。
平成7年からの平成の大合併時には合併を選択せず、平成12年度から10年計画で国の補助金制度を活用して、城下町、大多喜の歴史や文化を生かした町づくりを進めます。(街なみ環境整備事業10億円)

ところで、ここからが本論なのですが、大多喜町は、大多喜城や江戸時代からの建物の景観、又、近くの養老渓谷への基点場所として、年間80万人の来訪者を数え、いわゆる交流の拠点となっています。

そして、来訪者が寄付する「ふるさと納税額は19億円」実に町の歳入の23.3%をしめます。(最近、返礼品が問題となりました)「なんと、生き残ることに一生懸命な人々が住んでいる町だな!」と、私などは思ってしまいます。

東京から距離的に遠いこと、交通も不便なところで、城や、街を作り出し、いわば「人口の景観」も「売り」として、独自の町として存続し続けようとする強い意志を感じてしまいます。

翻ってわが町、我孫子市を見るとき、東京からの距離の近さ、交通の至便さ、地価の安さ、緑を含む多くの景観、文化が残されていることを改めて認識させられます。

私達は、我孫子の景観をどうしたいのでしょうか?又、何ができるのでしょうか?よその町を訪れることで、そんなことを考えさせられます。

最後に、この楽しかった大多喜の景観散歩を企画し、又スムーズに運営してくださった世話人の矢野さん、横山さん、飯沼さん、鈴木さんに心より感謝申し上げます。

※今回は、■第3回(2006年)に訪れた大多喜町を再訪しました。参加者の大半は初めての訪問で、第3回参加者にとっても、新鮮な出会いだったようです。「景観あびこ」19号に掲載されています。(幹事)
 シリーズ 庭園の四季 −6− 杉村楚人冠邸園の夏         高木 大祐(会員の友人) 
杉村楚人冠記念館の一日の最後の業務は雨戸を閉めることです。離れの茶室「清接庵」の雨戸を閉めるため、南側のガラス戸を開けた瞬間、手賀沼から丘へ吹き上がった風を正面から全身に受けます。夏の間、私が一番好きな時間です。

そんなわけで、夏の間の楚人冠邸園でお勧めしたいのは、「風」という目に見えない景観(?)です。午後3時を過ぎてから記念館を見学して、4時を過ぎたら邸園のベンチに腰かけて吹いてくる風を感じてみてください。「夕涼み」という言葉が持つ情趣を存分に味わうことができると思います。

一方、目に夏らしさを感じさせてくれるのが、楚人冠公園側入り口を入ってすぐに視界に飛び込んでくるバショウです。(右の写真)その姿態は「伸びやか」という言葉がぴったり。大きく伸びた葉が風に揺らいで、見えないはずの風を視覚でも楽しませてくれます。

さらに、夕涼みの情趣に欠かせないのはセミの声ですよね。邸園をよく観察してみると、あちこちの木にセミがとまっていたり、抜け殻があったり、地面に目を移せばセミが掘って出て来た穴がたくさん残っていたりします。そのぐらいたくさんのセミが邸園にいますから、その鳴き声の大きさたるや、里山と変わりません。響きあうセミの鳴き声の中に身を置いていると、ちょっと現実離れした心地がしてくるくらい。晩夏のヒグラシやツクツクホーシの鳴き声はまた格別です。
・杉村楚人冠邸園のバショウ

この三つが、触覚、視覚、聴覚を楽しませてくれますから、冷たいお茶でも買ってきて、ベンチに座って飲めば、まさに五感を総動員しての夕涼みが楽しめるわけです。

『湖畔吟』の「かはせみ」を読むとカワセミが巣を作ったという崖の横穴は、ビールでも冷やそうと考えて掘ったそうです。楚人冠と同じやり方で冷やしたビールを飲むことが今はできないのはちょっと残念ですが、夏は夕方の楚人冠邸園を楽しみに来てください。

■もどる