まちの美化に取り組む人々 余話 「景観あびこ」の記事にこんな嬉しい感想が寄せられました! |
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●前号(73号)を、会員の高野瀬さんが知人に差し上げたところ、その方から高野瀬さんにメールが届きました。 ●「■シリーズまちの美化に取り組む人々-33-で、我孫子駅近くの花壇作りをしている『フラワーポット』の記事を読み、私の利用する我孫子駅北口隧道付近の素敵な花壇が紹介されていて嬉しかったです。記事どおり、とてもセンスの良いおしゃれな花壇で、誰が手入れをしているのか気になっていました。ありがとうございました。」 ●高野瀬さんは、「嬉しい便りがありました。私などは、花の名前も全く覚えません。眼が忙しい気持ちをホッとさせてくれるのを楽しんでいるだけですが、花を作る人の紹介も良いですね。」と、添えてメールをしてくれました。高野瀬さんの行動力や探求心にはいつも感動しています。 ●編集の係をしていて、「読んだよ」「いい記事だったね」「会の活動内容がよく分かるね」などの感想をいただくと、とても励みになります。皆さんもご意見でもご感想でもどうぞお寄せくださいね。(秋田桂子) |
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利根川マジック、二つの「文巻(ふみまき)橋」 宮内昭男(会員) | ||||
●水戸街道の藤代と佐貫の間にある小貝川に架かる橋「文巻橋」は「小貝橋」ではなく、全くイメージの違う「文巻橋」(下の写真)という古風な名前です。この名前はどのような経緯で付けられたのでしょうか。 ●調べてみると驚くなかれ、「文巻橋」という橋が千葉県佐倉市にもありました。佐倉市を流れる「鹿島川」に架かる橋も「鹿島橋」ではなく「文巻橋」です。(下の写真) |
●その訳は、意外にも「小貝川」と「鹿島川」、昔は同じ川「文巻川」の上流と下流だったのです。橋が完成した当時の地元の人は普通の気持ちで川(文巻川)と同じ名前の「文巻橋」(下の写真参照)と付けたと思われます。 ●なぜ同じ川だったのかは、利根川の「東遷(利根川の河口を江戸から銚子に変えた河川事業)」を始めとする利根川の波乱の歴史を説明する必要がありますので、ここまでとさせていただきます。 ●話は変わりますが、水戸街道の「文巻橋」は小説に描かれていることが、佐倉市の「文巻橋」に対し、水戸街道サイドとして少し誇りたいところです。その作品は、住井すゑ著の『向い風』です。作品内容は、戦後混乱期の悲哀に満ちた男女の物語です。この小説のラストシーンの二人が別れるクライマックスステージが水戸街道の小貝川に架かる「文巻橋」です。 ●このレポートは、宮内さんが広報ボランティアになっている、龍ヶ崎市の広報紙「りゅうほー」7月前半号にも掲載されました。タイトルは「スクープ!小貝川の水戸街道に架かる「文巻橋」に兄弟がいる?」でした。我孫子でもこんな"スクープ"が発見されると楽しいですね。(広報部会) |
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