〜前会長吉澤淳一さんの、当会18年間を振り返った回顧録を、93号に続き掲載します〜
                                     
2 日立総合経営研修所庭園公開
【きっかけ】
私が我孫子の坂道を踏査している過程で、研修所敷地を2分する坂道(現・日立坂)を何度も上下している内に、敷地内の様子が気になりだした。明るい庭園と、もう一方は木の間越しに池が見える佇まいが魅力的に感じた。

高野瀬さんから構内見学の依頼状を出してもらったところ、快諾をいただいた。それは会設立1年後の平成14年6月だった。早速数人で訪問し、本館、別館の庭園を見せていただき、その素晴らしさに目を奪われたものだった。本館庭園は数本のヒマラヤスギの周りに研修生の記念樹が植えられていて、建屋を除けば今も変わらない景観だった。別館の方は鬱蒼たる自然林の中に、この地の前身の 「 料亭みどり 」 の古くなった離れ家が点在し、小さな谷底には湧水池があって、野趣豊かな景観だった。ついでに、本館屋上にも上がらせていただき、手賀沼の眺めを楽しませていただいた(下の写真)。この素晴らしい景観を、市民の皆さんにも楽しんでもらうべく、厚かましくも庭園の一般公開を申し出たところ、またまた承知していただき、その年の11月には早くも実現したのである。


【初めての庭園公開】
初めての庭園公開は、200人も来るかなあとのんびり構えていたら、なんと1500人もの人々が詰めかけたのには、それはもうてんやわんや状態だった。翌年春は、これに懲りて限定500人、ハガキでの申し込みに切り替え、準備万端、手ぐすね引いて開場したら、今度は400人に満たない来場者で、みんな肩の力が抜けてしまったものだった。1回目は、初めての一般開放に紅葉が重なっての繁盛ぶりだったのだが、何を勘違いしたのか、2回目は偉そうに定員を設け申込制にしたら、強烈なしっぺ返しを受けた。春は客足が落ちることに気が付いたのは、数回経験してからの事であった。

受入側の日立さんも 、初めて構内に沢山の市民を迎えるので、多少神経 質に なっていた。 トイレ使用以外の施設への入館は不可、場内では写真撮影禁止といった措置がとられた。散策するコースも今よりは多少限られていた。そんな五里霧中の中で、森部長(当時)と(株)日京クリエイトの宮崎店長には、親身に協力していただいた。

立ち入り禁止の柵の設置には試行錯誤したものだった。最初は市から借用した赤いパイロンに黄と黒のバリケードバーを設置したが当然不評だった。その後庭内の孟宗竹を使った竹柵に切り替えた。何でも初めて尽くしの連続で、みんな戸惑いの中にも チャレンジの喜びを感じたものだった。

翌平成15年には、会の推薦で第7回我孫子市景観賞を受賞した。市民への公開が評価されたものだ。


【我孫子の庭園について考える】
第3回目の平成15年秋の開催では、冨樫さんの発案で、掲題の座談会を研修所内の 講堂で開催した。多くの来場者が席を埋めた。企業や個人が所有する庭園について、所有者の立場で、維持管理、公開、近隣との関係などについて、現状報告、ご苦労話などの意見交換を行った。顔ぶれは(株)日立総合経営研修所の森部長(当時)、三樹荘の村山正八氏、根戸城址の日暮朝納氏、福嶋市長(当時)で、会の今川さんがファシリテーターを務めた。

私有地の景観資源を市民の手で支えていくことについて、貴重な意見や課題を共有することが出来たことは大きな収穫であった。村山氏、日暮氏、共に鬼籍に入っている。

景観あびこでは第9号に関島社長へのインタビュー記事を掲載している。手賀沼の景観に触れて、「浩然の気を養うには多くの借景が必要です。ここだけ(研修所)が一人で生き残っても無駄なことです。景観は広い意味でバランスがとれていないと意味がない。」と語っている。真に金言である。

【来場者へのおもてなし】
庭園内の景観や、そこからの手賀沼の眺めは素晴らしいものがあるが、それらに付加価値をつける何か「おもてなし」があってもいいのではないかと、みんなで真剣に考えた。

平成15年、日立さんが「茶亭ほととぎす」を開放してくれたので、湯茶と菓子の接待が始まった。瀬戸さんに連れられての柏公 設市場での買い出しや、座敷でのお茶出しで立ったり座ったり 腰に来て 、女性陣が多いに奮闘した。 (写真)


その翌年には建屋の一角で、高野瀬さんのお孫さん・高須洋美さんによるフルート演奏が始まった。やがて高須さんが音楽留学でウィーンに行くまで続き、その後我孫子フィルやフルートアンサンブルのメンバーに引き継がれ、後述の「コカリナ」演奏と併せて庭園公開の華になっていった。平成23 年「東日本大震災」の影響で「ほととぎす」が閉鎖(平成27 年に耐震性の問題から「観月亭」と共に撤去)されるまで続いた。高須さんは、ウィーンのプライナー音楽院を最優秀の成績で卒業し、帰国していろいろな音楽会で演奏、 プログラムの彼女のプロフィールには必ずここでの演奏の事が書かれている。嬉しい話 だ。

その頃、私の職場(我孫子市社会福祉協議会の「ボランティア・市民活動相談窓口:現・てとりあ)にある女性がいらして、「コカリナ」のグループを立ち上げたいのだがどうすればよいか」と相談を持ち掛けられた。コカリナはハンガリー発祥の、木で出来たオカリナのような楽器であることを、この時初めて知った。

そしてこの女性が今もリーダーの鈴木鈴子さんだった。立ち上げの過程で音色を聴いて、これは日立の杜にぴったりだと直感した。勧めると二つ返事で 、平成16年には早くも池畔での演奏が実現した。それはたった2人の静かな演奏だったが、グループはやがて大きく羽ばたき、「我孫子コカリナサークル“あびこ”」として24人のメンバーを擁し、毎回2部構成で演奏している。「コカリナ」だけを聴きに来るフアンもいるほどで「市民観桜会」と並んで庭園公開には欠かせない存在になっている。
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