日本では多分ここだけというユニークな小道具がある。小さな鏡で、変わった景観を見る仕掛けである。鏡を目のすぐ下に持って頭上の樹々を見ると、大きな景色が10センチ四方の中に凝縮されて見える、なんとも不思議な世界が出現するというもの。これは、旧村川別荘市民ガイドの研修で、アウトドアのプロから教わったもので、思い出してここで使ってみたら皆さん喜んでくれた。ある日、会員の一人が「こういう使い方もあるよ」と教えてくれた。それは例えば、手賀沼に背を向けて鏡を頭上に掲げ背中越しに見ると、沼が掴めるほど近くなる驚きを感じる。 教えてくれた会員 の佐野さん(元会員) はイギリス文学の専門家で、イギリス湖水地方の平坦な風景を、旅人はこうして楽しんでいたのだと言っていた。発案したフランスの画家の名前をとって「クロードグラス」という。 ネットにも出てくるほどの代物である。「ほととぎす」前庭からの手賀沼は、垣根があって車いすの方は見られないが、これを使うと文字通り「手に取るように」見えて好評だ。因みに鏡は100円ショップでまとめて買ったものである。

来場者の様々な質問に答えられるように知識満載の「ガイドブック」も瀧澤さん (元会員、三樹会員)が作ってくれた。

【公開内容の進化】
回を重ねるごとに、日立さんも私たちの活動と来場者の感謝の意識を理解し、公開内容を充実していただいた。

平成15年春には、食堂から出る食材の余り物を日立製の機械で「エコたい肥」にして(袋詰めは会で)、これを来場者にお配りしたら、花が良く咲くとものすごく喜ばれた。これは機械の関係で平成 21 年には中止となり、その後は会作成の「庭園の四季の栞」に切り変えて今日に至っている。

平成18年ごろには旧別館前の「藤の庭」が開放 され、コカリナの演奏をここに移し、演奏環境が飛躍的に改善され、来場者もゆったりと聴けるようになった 。 撮影も可となり、散策エリアが拡大され、別館トイレも開放された。

「ほととぎす」の開放はすでに述べたが、この頃になると別館食堂が開放 され、「白樺派のカレー」(400食)やうどんなどの提供が始まった。レトルトカレーも売られていた。「白樺派のカレー」はそれ以前から研修生に提供されていて、レトルトカレーも研修生向けお土産用として売られていた関係で、実現に至ったものである。食堂経営の関連会社の営業の一環で始まったが、これが人気を博し、以降の来場者増につながったのは幸いであった。我孫子市制45周年(平成27年)記念切手に当庭園の紅葉が選ばれたのも、日頃の日立さんの地域貢献が認められた ものである。

【近隣への配慮】
もともと日立さんしか無かったこの場所の周辺がやがて宅地化したため、落ち葉等どこにでもあるような小トラブル クレーム? はつきもので、日頃日立さんも丁寧に対応していたようだ。庭園公開は、この静かな住宅街の土曜日に千人を超す人々が 訪れるのだから、日立さんに迷惑が掛からないように運営することが第一義 であった。一番の問題は路上駐車である。敷地の東側の道路は駐車可なのだが、それでも家の目の前に何台も駐車されては穏やかではない。住民がパトカーを呼んだこともあった。来場者の安全対策と共に、 ここの路上駐車対策を最重点課題と定めた。駐車可のエリアを駐車禁止にするために必要な 手 続きを取った。

市役所から道路占有許可を、警察から道路使用許可を受けた。長さ150メートルにわたってパイロンとバーを設置し、更に見張りの担当者を数名配置した。日立さんからも最低一人は出てもらった。警察も巡回してくれた。ありがたいことに、ここでのトラブルは最初のパトカー事件以来皆無で、みなさんの対応に感謝である。

【宿泊棟の建設と新社屋の建設】
平成19年から20年にかけて、別館側エリアに3棟の宿泊棟と管理棟が建設され、これにより別館の宿泊施設と管理施設は廃止された。宿泊棟はロッジ風で周囲の林に溶け込んで創業社長小平浪平氏の「良い立木は切らずによけて建てよ」の教えを見事に具現化していた。後に述べる新社屋建設にもそれは活かされていた。
平成22年には、(財)都市緑化基金(国土交通省)主催の「生物多様性保全につながる企業のみどり100選」で、株式会社日立総合経営研修所を含む日立グループの6事業所が選ばれている。日立製作所のホームページでは「自然林や湧き水の池を有し、周辺の丘陵や沼、斜面林との連続性を保った自然庭園を作っています。緑地の保全に努めた結果、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、キジバト、シジュウカラなどの鳥類が生息しています。平成14年からは年に2回、地域コミュニケーションの場として、市民に自然庭園を公開しています」と記されている。我孫子市民の誇りでもある。

平成26年、27年、本館・別館取り壊しと新社屋建設のために計4回公開を休止し、平成28年の春に再開した。新社屋は景観を壊さない配慮で 2 階建て。白亜の瀟洒な作りでその中に最先端の研修施設がある。心配していた2本の大けやきは、見事に残されていた。(下の写真)


「良い立木は切らずによけて建てよ」が此処でも実践されていた。樹齢400年と言われる、マキの木も 建屋を囲む中庭に そのまま残っていた。庭内の模様がいろいろと様変わりしていたので、公開再開にあたって会にプロジェクトチームを立ち上げ万全を期した。新社屋のトイレ(車いす用もある)を借りることができたのは良かった。

「白樺派のカレー」も新社屋の2階の食堂で再開した。キャパシティの関係で提供が200食に減ったが、総ガラス張りの明るい食堂で沼を眺めながらの食事は再び人気の的になった。さて、2階の食堂に来場者が入るにあたって、問題が生じた。この建物は普通に土足で入れるのだが、真新しい社屋に、庭園を歩いたその足で入ることに日立さんが難色を示した。もっともだと思うが、さてどうするかお互いに悩んだ末にスリッパに履き替える案で決着した。当初はレンタルで、その後は使い捨てに切り替えたが、会が費用を負担している。

【運営】
27回の公開中に、日立さんは社長が数回替わり、担当者も入れ替わっているが、コミュニケーションは良好である。毎回、実施計画書と実施報告書で合意と確認を取り合っている。会の方は20回を過ぎたあたりから会員の高齢化が急激に進み、会員と外部サポーターの割合が5:5にまでなり、外部サポーター無くしては運営は難しくなってきている。このため、日立さんのご理解のもと、平成30年から春の公開を取り止めた。

開催までの数か月、前日準備、当日の作業、終了後の諸作業等々、山ほどの作業を皆黙々と自分の役割をこなしていく。市役所の資材提供 にも助けられている。

公開の模様は、毎回画像として残しているのが自慢である。10回目ぐらいまでは、サポーターの岩崎さん(故人)がビデオにも収めてくれた。今は鈴木さんが会場内を駆け回って、リアルな写真を撮っていて、メディアがそのまま使うほどである。市民観桜会などのイベントも然りで、貴重な資料になる。

運営について冨樫さん曰く「これはものすごいノウハウであり、イベント専門会社以外には他に類を見ない」と。来場者の笑顔や、福嶋市長(当時)、星野市長、青木副市長のねぎらいの言葉が、大きな励みにもなった。

■P4へ続く

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