(P2からの続き) | ||||||||
●来場者にお配りする会場案内マップの裏面に「観桜閑話」と題した読みものを用意していた。 ●最初は「倶楽部の沿革」で、ゴルフやゴルフ場に馴染みの薄い来場者向けに作った。次は「桜の老木再生についての、我孫子ゴルフ倶楽部の取り組み」で、倶楽部の会報誌から引用した。コース内494本のソメイヨシノの内80年以上の老樹が50本以上ある。これらの維持管理のために日本で最も高度な管理をしている弘前市公園管理事務所の樹木医に来てもらって指導を受けていることを紹介した。ここには記さなかったが、プレーヤーには桜の根元には近づかないよう呼び掛けているとも聞いた。当倶楽部が如何に桜を大切にしているかの一端が垣間見えた。この読み物は来場者への注意喚起の願いも込めている。 ●昭和5年に開設された当ゴルフ倶楽部は、地元振興を願う当時の町長の要望を受けたもので、郷土の偉人、杉村楚人冠がこの話を持ち込んだことはあまり知られていない。「杉村楚人冠と我孫子ゴルフ倶楽部」では、楚人冠の随筆「ゴルフクラブ」から、彼の見た雪の日の閑散とした昔のゴルフ場の様子を紹介した。 ●平成21年には当倶楽部初めての日本女子オープンが開催された。その翌年の開催で配ったものが、「2009 日本女子オープン、熱い戦い、うたげのあと」。宮里美香、横峯さくら、宗ボベ(優勝)たちの熱い戦いや、キャディさんのエピソードなど、冨樫節で読ませている。 ●東日本大震災、コーコース大改造で2年中止の後の開催で配られたのが「この我孫子ゴルフ倶楽部が世界一に!!」。グリーンを世界標準のワングリーンに改良し関連するコースの改修が、アメリカの「ゴルフマガジン」にて、2013年全面改修コース部門で評価され、栄冠を勝ち取ったことを紹介している。私たちはこんなにも素晴らしいゴルフ場で桜を鑑賞しているのである。 ●平成29年は雨で中止のため、関係者以外目に触れることはなかった。その年の秋に開催される当コースでは2回目の「日本女子オープンゴルフ」をテーマにしたものである。その大会の模様を紹介したものが、「女子オープンの市長賞と『うなきちさん』」で、2年前の事なので皆さん記憶に新しいところ、会場に足を運んだ会員も多かった。 |
●最も新しいものは、「植物解説」である。会場内のソメイヨシノ以外の花々をカラー写真入りで解説している。ソメイヨシノが咲いていないときに、随分と助けてくれた早咲きの桜、ヨウコウ(陽光)も詳しく説明してある。この読み物は、前半と最新は私が、後半は冨樫さんが担当した。 【我孫子ゴルフ倶楽部の地域貢献】 ●一般社会法人「我孫子ゴルフ倶楽部」は、地域への貢献に熱心な倶楽部で、「市民観桜会」の開催がその良い例である。一方、周辺環境との融合にも気を使い、我孫子市と連携を取りながら模索を続けている。会は両者の橋渡し役として諸企画を提示している。冨樫さんの指導で野口修さん(会員、建築家・工学博士)がいろいろと青写真を作って来た。平成26年には、市の公園緑地課に「岡発戸市民の森⇒景観ミュージアム化計画提案書」を提出している。その一端を、我孫子景観基礎研究の、2020年に向けた手賀沼の“景観ビジョン”論文「我孫子ゴルフ倶楽部/市民の森」(■景観あびこ80号 P1)に見ることができる。 ●我孫子ゴルフ倶楽部の理事長(当時、現・株式会社我孫子カントリー社長)富田浩安さんはとりわけ熱心で、自社の費用で、コース西側境界のコンクリート塀をシースルーのフェンスに変え、岡発戸市民の森との融合性を高めてくれたものだ。これを受けて星野市長は、暗かった市民の森に手を入れて明るい森に生まれ変わらせた。コース側から見るとプレーヤーは市民の森との一体感を感じ、森を訪れた市民は美しい造形美のコースを目の当たりにする。
●市民観桜会開催の都度、市長・副市長と会場を巡りながら、富田理事長がこの融合について熱っぽく語り、その脇で頷いている冨樫さんの姿が印象的であった。また、市が進めている谷津ミュージアム構想とゴルフ場所有地との関連についても、調整をしている。 ●余談であるが、平成22年の開催は、我孫子市制40周年記念事業に組み込まれ、会場の模様が記念切手になった。倶楽部の協力の賜物であった。(写真下) |
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