景観の本棚−3 松原隆一郎著「失われた景観」(PHP新書)        冨樫 道廣 (会員)
 (P1からのつづき)
  景観保全のために、法律などで規制をかけてくれるよう行政に頼み込んでも、これまで我が国でその保全の対象になりえたのは、「歴史的建造物」、「伝統的な街並み」、「自然環境」という狭義の3点でしかないのが歴史であり実績である。

 一方外国に目を向けると、第二次世界大戦で、ナチスドイツに壊滅的な破壊を受けた「ワルシャワ」。人口100万人のうち生き残ったものはわずか16万人。それでも復興に立ち上がり、まず着手したのは、消えて無くなってしまった歴史的建物や地域の街並みの再建であった。戦前の写真や昔の絵画や地図をたよりに可能な限り元通りに復元したのである。近隣諸国からの応援、支援があったとはいえ、真の住民の心が、そして意気込みがなければとても出来ることではあるまい。傷ついた心が、せめて景観だけでも未来に生きる望みを与えてくれるだろうと、聞いた者の心を打つのである。

 もう一ヶ所の例は「ネパール」の小都市「ポカラ」のことだが、経済的には一般の途上国よりも低いレベルで、日本とは100年以上の隔たりだが、それでも景観を大事にしているのである。

 山に向う道を上ると、100メートルほどの間隔をおいて岩に囲まれた菩提樹が美しく並んでいる。その「岩」は、「チョウタラ」と呼ばれるもので、近辺の金持ちが寄進したものらしい。人々は木陰の岩に腰をかけて、ミルクティを買って飲んで、菩提樹を眺めながらしばしの憩をとる。これがここに住む人達にとって暮らしの中で、欠くことのできない癒しの一時で、欠かせないものだと教えられたと著者は言う。この2つの例から見ても景観と経済とは二律背反でもなければ、トレードオフでもない様だ。

 我が国の場合、著者は戦後の経済発展の結果が景観を駄目なものにしたのだと嘆くが、はたしてそうなのか。我が国の景観の生い立ちから検証にかかる。人々の生活圏、それぞれの景観に焦点を当て、四つの章に分けて分析を試みる。
第一章は、街道筋のロードサイドショップを大店法などの法律を混じえ、大型小売店の看板など、国道16号線を具体例にする。

 第二章は、神戸市に於ける新交通システム創設による昔なじみの景観を破壊されたという、住民側の我が国最初の景観訴訟を登場させて、行政と住民との利害の検証をする。

第三章は、マンション建設を追い出す真鶴町の腐心。外部の有識者を入れて策定した「まちづくり条例」、特にその中で特異な「美の原則」なるものが、我が国初の景観評価のホンネとも言うべきものが表現される。

  最後の第四章は、身近な問題として、くもの巣状の電線類の地中化の検討を試みる。

  ここですべての項目を網羅することは、紙面の都合もあるので、著者が代表的に力点を置いたと思われ、「まちづくり条例」でも「美の原則」という特異な真鶴町について詳述した第三章を取り上げることにする。
  では早速第三章に入ることにする。真鶴町は神奈川県でも2番目に小さい町。人口はわずか9千人そこそこである。斜面地の低地部ではみかんの栽培、高地では特産の小松石の石材の切り出し作業が見られるくらいの静かな町だが、山を降りると眺望素晴らしい真鶴湾が広がり、漁船も所々に見えて、魚介類の宝庫にもなっている。それを自慢の料理にする旅館や民宿もチラホラ並んでいた。ところが隣には有名な温泉町湯河原があるのにここでは温泉はぜんぜん出ない。お湯が出ないどころか、飲料水にする水源にもこと欠く始末。周辺の小田原などから給水の援助を依頼しているのが実状である。

  恐らくそんな事情が、真鶴町が伊豆という箱根や熱海に囲まれた好立地で、首都圏からの地の利にも恵まれていたのに開発の手にかからなかった理由なのかもしれない。しかしそれが1990年代になってついにバブルの荒波がここにも押し寄せてきたのである。

  これまでの小さな町などは、都市計画によって、「市街化区域」と「市街化調整区域」という「線引き」によって管理されていて、開発などされそうもない地域などは「未線引き」という「白地地域」になっていて、建築物の用途や形態には何の規制もなく、その上建ぺい率は70%、容積率は400%という非常に規制の緩やかな地域だったのである。そんな「白地地域」がこの真鶴町には約8割も占めていたのである。

  これを目がけて開発の荒波はやって来た。大型マンションの建設申請はものすごく、リゾートマンションが15.000戸、ホテルが430室、保養所150室という膨大なもので、これが満室になったら真鶴町の人口は4割も、5割も上昇するというものだった。みかんの農家はこれを目当てに我先にと土地を手放し、すでに数件の小型の箱型マンションは出来上がっていたのである。

  マンションからの眺めは絶景だが、町の中から建物方向の景観は、山肌もあらわに切りくずされた斜面が悲惨なものになってしまっていた。古くからの住民の怒りは頂点に達し、マンション建設反対の旗をふり、町長を変えて応戦したものである。

  これまでの都市計画法や建築基準法などの範疇では何も出来ず、苦肉の策として町長は、水がないことを防波堤にして、「水に関する条例」と称して、「上水道給水規制条例」と、「地下水採取の規制に関する条例」という、マンションが出来ても水はやらないぞという条例を議会を通して抵抗してみたが、仲々勝ち目はない様だった。
(■P3へつづく)
真鶴町の山に建ったマンション群
(筆者による本文写真のスケッチ)
 
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