― 我孫子の歴史景観を探る ― その(3) 元"川港町"布佐 と "緑"の布佐台の散策 |
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我孫子の景観を育てる会 | ||||||||||||||
<マップ利用上のポイント> 散策距離:総延長6.5q。 マップには出発点からのqが記載されています。それを見て時間配分しながら散策してください。 散策の仕方によっては時間配分を間違えることもありますので、散策は(1)〜(10)間3q弱のルートと(10)以降3.5qのルートに分けて計画を立てることをお勧めします。 注意事項:国道356号(成田街道)、利根水郷ラインを横断する時は短気を起こさぬよう。 バスの利用:(10)以降3.5qのルートを散策する際は、バス時間を布佐南口で調べた上で出かけて下さい。 バスは布佐南口から布佐平和台を縦断、新木駅南口行きと、布佐近隣センター・経由消防署・356号線経由天王台行きの2方向のバスがあります。 名所丸番号は文章中では(数字)に変えています。 これは、○数字はブラウザによっては文字化けすることがある理由によります。ご了承ください。 ■名所解説へ |
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<元"川港町"布佐> ●布佐の散策は、JR成田線・布佐駅の北口から出発します。 駅前から成田線に沿い東方向に進みます。350mほど行くと薬局店のある交差点に来ます。 この交差点を左右に延びる道が(1)なま街道※で、江戸道とも呼ばれた路です。この交差点を左折します。道の左側には"切れ所沼"がありました。 成田街道(356号線)を渡った所には(2)布佐馬頭観音堂があります。 ●この観音堂から堤防沿い下流側300m付近が網代場跡です。トラック道路の横断は大変危険ですので、後で栄橋から見ることを推薦します。
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●磯岡種屋さんの向かい側には (5)"松岡(柳田)邸"がありました。榎本邸の西隣付近には、明治27年の「日本博覧図」に描かれた (6)"松島重右衛門呉服屋屋敷" がありました。(7)"栄橋"へは200m先の陸橋下から階段を上って行きます。途中はトラック路に沿うので大変注意が要ります。 栄橋から下流を眺めると左に(3)網代跡一帯を望めます。栄橋から戻って階段を下り、200m進むと布佐台に向う坂の左手に (8)"愛宕神社" があります。 |
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●愛宕神社から左に折れて行くと、(9)"勝蔵院"の上に来ます。 その小路をそのまま下がると右手に布佐中学校と竹内神社が右に見えます。下り切って少し進むと右手に竹内神社の松並木参道が見えます。竹内神社に向かわずに真直ぐ路沿いに進むと和田幼稚園にくる。 幼稚園の門右手に見える小山が、(10)"布佐城址(伝承和田城址)" とされる地である。この城址も元は台地であったものが、成田線開設工事などで切り取られて僅かに残った高台です。 |
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●ここで"元川港町"布佐の散策が終わります。 次の布佐台散策は別に機会にして一区切り付けるのも良いかもしれません。 踏切を渡って駅に引き返して下さい。 |
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<“緑”の布佐台> 別途散策する方は、布佐駅南口から、病院西角を右折し布佐城址を経由します。 |
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(11)"竹内神社" は布佐城址から勝蔵院の方に戻って松並木の参道から入る。境内の樹林の中で胸一杯に森林浴をして同じ階段を戻って住宅の中を通って宮の森公園に入る。 | ||||||||||||||
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●そして小学校に向う坂道を登り、成田街道を横断して新しい住宅団地に入ると、(12)"稲荷神社跡"地で、突き当たり坂の上は、我孫子最初の旧東京帝大解剖学大澤岳太郎教授別荘東屋跡である。再び成田街道沿いに戻って西に進むと(13)"(右の)道祖神前古墳と(左の)斎藤邸の欅木"があります。 (14)"布佐一里塚" は石碑のみです。 成田線の陸橋を渡り、(15)"間戸公園" から、第1回景観奨励賞受賞の布佐平和台住宅地区を通る。当自治会は主体的に緑地協定を定めて街並の緑化に努め、緑豊かな潤いのある素晴らしい景観を守っている。 (16)"篠の越路" に入るには佃のバス停先100m坂手前を右折し4号公園を下り、ミントバレーコートを過ぎ右手の小路に入る。"篠の越路"は、大きな樹林に覆われる小路と村里の原風景が創る素晴らしい空間が広がる。 |
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●浅間神社から湖北台団地に戻り、調整池で"やすらぎの道"を横断して成田街道筋に向います。セブンイレブンの店の所から右折して成田街道を進み(20)成田街道沿いの高垣根を通り越して500m行った右手が、縄文中期・奈良・平安時代の(19)勢至前遺跡 です。 | ||||||||||||||
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●ここから新木駅までのバスを利用するには、ここから荒木駅まで歩くか、バスを利用します。 <参考> (22)頼朝の松 "頼朝の松"は現土地所有者の自宅裏畑中にあったが、20〜30年前に枯渇した。今は幻のものとなったが参考に記載した。 |
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※なま街道の「なま」は、魚を3つ重ねた文字「![]() |
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以上 | ||||||||||||||
平成17年11月 文責・梅津 |
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