我孫子のいろいろ八景事業(1)  吉澤 淳一(会員)
 【なぜ八景?】
我孫子のいろいろ八景事業はどのようにして始まったのか。それには伏線があった。今から遡ること17年、平成16年10月発行の景観あびこ12号のトップに、「八景探し」の提案を載せた。

その動機はこうだ。どうしたら、我孫子市民に景観に興味を持ってもらえるのか。これまでの施策は皆素晴らしいものだが、何かが欠けていると思った。それらは情報の一方通行だったことに気づいたのである。それはそれで必要なことなのだが、もう一歩前に進みたい、市民と一緒に何かをしたい、そんな思いの中から試行錯誤の末に「八景」にたどり着いたのである。

【八景 一夜漬け】
今思えば一夜漬けのようなものだったが、八景についていろいろと勉強し構想を練った。
八景、その起こりは、中国湖南省の風光明媚な洞庭湖の辺り、瀟湘(しょうしょう)地方にある。文人画家宋柚(そうてき)が画題として11世紀〜12世紀ごろに「瀟湘八景」を確立したといわれる。やがて室町時代に輸入され、近江八景、金沢八景など各地に広まっていく。みな「瀟湘八景」に倣って絶句で表されている。「山市晴嵐」(瀟湘八景)「粟津晴嵐」(近江八景)といった具合に。これらは場所と情景の組み合わせで成り立っていて、私はこれを古典的八景と言っている。

近年になって全国に400を超える八景が誕生するが、古典的、そうではないもの、様々である。もっとも大掛かりなのが、昭和2年の「日本新八景」である。東京日日新聞社、大阪毎日新聞社の主催で鉄道省が後援し、文部大臣、逓信大臣が審査会に名を連ねるなど、世論形成への期待も大きかった。人気投票を全国に募った国民投票に私は興味を持った。更に、山岳、瀑布、湖沼、海岸といった題材別に各一勝を選んだ点も参考になった。

これらは国立公園運動につながっていく。因みにその時に選ばれた名勝は、室戸岬、温泉岳(雲仙岳)、木曽川、上高地、十和田湖、華厳滝、別府、狩勝峠である。

【我孫子にもあった八景】】
翻って我孫子を見てみよう。あったあった、まず大正時代につくられた「手賀沼八景(八勝)」。これは「瀟湘八景」をなぞっている。「筑波の晴嵐」「白山の秋月」など。「21世紀手賀沼八景」なんてのもあった。手賀沼公園、曙橋付近、ハスの群生地などで、いつつくられたか不明だが、平成21年の市のホームページに載っていた。

布佐にも明治中頃に作られた古典的「布佐八景」があった。昭和56年の「我孫子市史研究5」(我孫子市教育委員会発行)に、柳田國男の甥松岡文雄が書いた「懐郷−布佐八景随想―」が掲載されている。

【提案をお蔵入り】
平成16年に「八景探し」を提案した時、会員の反応は芳しくなかった。会が誕生してまだ3年余り、日立庭園公開や市民観桜会を軌道に乗せるべく、みんな頑張っていた時である。私の思いは性急すぎていたのだ。そこで私はこの提案をお蔵入りした。
 【捲土重来】
それから7年経った平成23年に突然その機会が訪れた。我孫子市の「提案型公共サービス民営化制度」の対象事業を副会長の足助哲郎さん(故人)と調べていたら、景観推進室が「景観形成市民啓発事業」を掲げていることを知った。

景観推進室から私どもに打診とか提案依頼が無いのが不思議だったが、景観行政の本丸である「景観形成市民啓発事業」に参画することは、会の活動のターニングポイントになるとの確信を持ち、役員会にかけてこれに応募しようということになった。さてテーマをどうするかだが、これといった案が出てこない。私の念頭には常に「いろいろ八景」があるのだが、一度お蔵入りしたものを再び持ち出すのは如何なものかと、躊躇し正直悩んだ。内々足助さんに相談したら、賛意を示してくれたので、役員会にかけて応募の手続きに入った。提案骨子は、景観あびこ12号に載せたものと寸分違わないもので、これに具体的な施策、期間、予算等を付して、委員会にプレゼンテーションを行った。

 【新事業の誕生】
市の幹部や学識経験者などの前で行った、足助さんのプレゼンテーションは見事だった。庭園公開や市民観桜会の継続、行政への協力で活性化した景観シンポジウム、公募補助金での景観コンサートの成功等々、これらの実績を踏まえた新しい事業「我孫子のいろいろ八景」の青写真を、委員全員が理解し認めてくれた。日を待たずにして「合格」の通知が届いた。斯くして平成24年度から「我孫子のいろいろ八景事業」は始まった。さて受注はしたものの全てが初めて尽くしの中で、足助さんをリーダーとしたプロジェクトチームが発足したのである。

 【テーマの選定】
いろいろな八景案が出てきた。列挙すると「公園八景」「坂道八景」「道の八景」「手賀沼八景」「富士山八景」「筑波山八景」「常磐線車窓八景」「成田線車窓八景」「利根川八景」「ハケの道八景」「学校八景」「田園八景」「斜面林八景」等続々と出てくる。そこに「まちなみ」と「桜」が加わり今の八景が決まった。手賀沼と利根川などを併せて「水」、田園と斜面林は単純に合併した。

「成田線車窓八景」は景観推進室長(当時)の丸山忠勝さんのつぶやきに一同意表を突かれ、異色感はあったが八景に名を連ねた。我孫子から布佐まで20分足らずの超ミニ旅での八景選出は、正直なところ苦しかった。こうして最終的に決まったのが、「公園八景」「坂道八景」「成田線車窓八景」「まちなみ八景」「ハケの道八景」「斜面林・田園八景」「桜八景」「水八景」である。


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