我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第108号 2022.3.19発行
編集・発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 鈴木洋子
景観の本棚 −10−          ・・・ 最 終 回 ・・・
 冨樫 道廣(会員)
  このシリーズも約2年にもなるが、これで最終回を迎えることになりました。これまで多くの方々の目に留まり、読んでいただいたことに深く感謝するとともに、厚くお礼申し上げるところです。

  これまでの本題の通り、多くの識者の「景観」に関する著作を読んだからには、我が我孫子の「まちづくり」に何らかの貢献を残したいのが素直な気持ちでいるところです。

  ならば、手当たり次第にとも思ったのですが、たまたま、来年度からの「都市計画マスタープラン」が現行計画の計画満了に伴い、次期計画が策定されると聞いたので、それならその内容に則したものにしたいと思い、御当所を訪れることにしました。それはまだ策定案の段階でしたが、具体的な場所や、その方法については未定でも、進む方向だけは明確に理解することが出来たと思っているところです。その全体の構想としては、
1) コンパクトな構造、
2) にぎわいのある都市、
3) 地域資源や立地特性を活かす都市、
4) 安全、安心な都市づくりを目指す。
将来都市像である「未来につなぐ心やすらぐ水辺のまち 我・孫・子」という標語の実現の為に策定された「都市計画マスタープラン」であるというのが結論でした。

  あらためて我孫子のまちを地政上の位置関係から考えてみると、昔、ロジスティックスの研究者仲間と議論した時のことを思い出します。それは戦国武将の「地取り、縄張り、普請、作治」という4つの手順に従って、第一の地取りになる立地の選定には「風水四神相応」の思想がある。それは「天の四つの方角を司る四神」として、北に「玄武の山」、東に「青龍の川」、南に「朱雀の海」、西に「白虎の街道」が当てられていたのでした。これに我孫子を当てはめると、北には山になる斜面林、東に利根の流れ、南には手賀沼が拡がり、その西に「白虎」になる水戸街道が絵に描いた様に見えてくるのです。こんな素晴らしい地形に景観の劣悪を言うのはおこがましいことですが、行政の担当者が言うには、市の「景観形成基本計画」は景観法の施行に伴い平成18年に改定して以降、一度も見直しがされていないということでした。これには筆者も唖然たる思いで、これまであらゆるまちづくりに必ずといっていいほど景観が関わるはずなのに、それが問題にならないとは、市民も行政もそれほど景観に関心がなかったからでしょう。少々情けない気持ちになったものです。

  「景観」という言葉は一般にはなじみの薄いものでした。「風景」という言葉は使いなれても、「景観」には戸惑ったものです。「風景学」を表明する中村良夫先生に、市のシンポジウムに来ていただいたとき、質問させてもらったのも、第一にこのことでした。その答えは、「『景観』は生物学から借用したものです」と。
都市計画本来の言語ではないことが分かりましたが、それならばすべてに「風景」を使いたい。「風景」ならば「風情」ある「情景」で合成されて、その間の「情」は隠れて見えなくても、常に人間は存在して「景観」のように、人間の有無を気にすることはないと申し上げたところです。この様な日本の都市風景を中村良夫先生は著書の中で、「やぶれ障子」のようだと喝破したのです。

  西村幸夫先生の著書の中に、「あらゆる都市は書き継がれる書物」という項があって、まちの中のあらゆるものが何らかの「意図」があって、その場所に立地しているというのです。駅や学校などの公共施設、神社仏閣、さらには商店街や街道筋などにも、でたらめではなく、何らかの「意図」の集積として都市の空間は出来上がっているという。そこには多くの著者がいて、終わることはない。書き継がれて、変化しながら終わりのない書物であるということです。自分自身も現在という一時点では著者であり、登場人物であるかもしれません。その視点から景観を記憶すれば、例えば、手賀沼にポプラの並木がありました。約10本ほどでしたが、手賀沼のシンボルだったはずです。それがある時、害虫のせいとか言われて、切り倒されてしまいました。そのあとに次の並木をと苗木をお願いしたのですが、それはかないませんでした。あれは北小金の中学か高校での余った苗木だったのだと、その卒業生が言ったのを思い出しますが、なんの変哲もないものでも、それが時間と共に人間の記憶になって原風景になるものです。それと同じぐらいの時期に、その水面に群がる水鳥たちも見えなくなってしまったのです。原因は沼水の浄化の結果、北千葉導水によって、大量の利根川の水が入ってきたためでした。沼の水質は良化しましたが、その生態系が変わってしまって、とる餌もなくなってしまったのでしょう。

手賀沼公園から見る公園坂通りと新しい道
   〜我孫子市都市計画課より提供〜

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