我孫子景観基礎研究2 その2
       現代都市における街路樹と景観、都市デザインの関係に関する考察

               
建築家・工学博士  野口 修(会員)   
 2-1.街路樹、景観、都市デザインの問題点
  『景観あびこ/二十周年記念誌』(令和2年10月17日発行)の14〜17頁において、オオバン通りの街路樹整備に関する当会の取り組みをまとめた。オオバン通りに街路樹を植えた「景観想像図」を作成してから約8年目の2020年にハナミズキの試験植樹が実施され、今年で2年目となる。(下の写真1・2参照)

  足掛け10年。その間、沿道店舗の意識調査や行政との勉強会等も行ってきたが、まだまだ先は長いと実感している。この理由としては、完成した道路に新規の街路樹を整備しようとしていることに加え、現在、街路樹の維持管理費は削減傾向にあることが挙げられる。


  前稿で論じた通り、街路樹は「道路の付属物」と定義される。道路整備は公金を用いた事業だから、一度完成した使用上の問題がない道路に対し、維持管理費がかかる街路樹を新設するとなると相応の根拠が求められる。

  この観点で見た街路樹は、景観的「美観」や潤いある「生活環境」といった極めて抽象的な根拠に止まり、最も説得力のある地域住民のコンセンサスもなかなか得難い。何故、コンセンサスを得難いかと言えば、「美観」ひとつでも好みの問題があったり、「生活環境」において、落葉の始末を嫌がられたり、花粉や昆虫が苦手な人も居るなど、街路樹を植えることが、万人共通の絶対的価値観では無いことによる。

  しかしその一方で、手賀沼・久寺家線のように元から街路樹ありきで計画し、樹種だけを公募決定するといった手法を採った場合は、ほとんど異論も無く整備できてしまう現実もある。

  先日、京都市を訪ねる機会があって市内を散策した。京都が碁盤目状の町並みであることは有名だが、町なかの広い道を大路(おおじ)、狭い通りは小路(こうじ)と表現される。これは中国の都にならい、平安京などで施行された「条坊制」に由来する。平安京では大内裏と都城南端の羅城門を結ぶ朱雀大路を南北に通し、これを境に東の左京と西の右京を分けた上で、東西南北に大路、小路を張り巡らせて碁盤の目の都市区画を構成した。

  加えて小路より細かい生活動線としての路地(ろじ)や寺社の参道など、京都にはたくさんの道がある。また、街路樹が植えられた道も多いが、町並みに良く溶け込んでいる。(右上の写真3参照)


  「総論賛成、各論反対」ということだろう。
オオバン通りの街路樹に立ち返ると、緑豊かな町並みを思い浮かべて街路樹を植えることには賛成するが、身近に植えるとなると、弊害が色々思い浮かんで反対に転じる意識は理解できる。

  また、持続可能性の問題もあるだろう。京都のような観光都市では、街路樹や庭木が整備された"日本的"町並みを見に国内外から観光客が訪れることで経済が潤うが、そうでない街には保証が無い。

  かつての道路特定財源制度も2009(平成21)年に一般財源化され、目的税だった使途はインフラ整備やまちづくり支援事業にまで広がっている。街路樹の整備や維持管理費も、こうした中から捻出しなければならないので、自力による財源確保が厳しい地方では負担を増やすことにもなりかねない。

  あらためて「街路」とは、「人や車の通るところ。地上の通路。」と定義される「道路(道)」の内、「市街の道路。町なかの道。」であると同時に「市街地あるいは都市計画区域内の幅員4m以上の公道で、交通の他、沿道建築物の採光、通風、防災、景観などを考えて設計された道。」を言う。

  街路樹はその「付属物」で、主に街路景観や延焼防止などの防災、直射日光を遮る緑陰の形成に加え、植栽・剪定に関わる請負業者や清掃に関わるシルバー人材への経済効果が期待される一方で、落葉を始め、倒木や枝の落下といった弊害や花粉や動物などによる弊害、育ち過ぎにより採光・通風の遮断や交通・電波の障害を引き起こす弊害も抱えている。そして、こうした弊害を乗り越えて街路樹を整備するには、街路にどんな樹木を植えるのか?といった各論より、そもそもどんな場所に住みたいのか?といった全体論からコンセンサスを形成していく必要があるのではないか。

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