我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第114号 2023.3.18発行
発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 中塚和枝
我孫子景観基礎研究2 その3
       現代都市における街路樹と景観、都市デザインの関係に関する考察

               
建築家・工学博士  野口 修(会員)   
 3-1.「手賀沼のヌマベ」を活用した景観教育・自然体験の意義
 前稿で明治神宮外苑の再開発事業を取り上げた際、事業が認可される過程で伐採する既存樹木の本数を削減し、それが環境保全案を妥当とする一因となったことに触れ、「郷愁を感じる景観が伐採本数の多寡で変わって行く現実に違和感を感じる。」と書いた。

 この"違和感"をより広い範囲で探してみると、CO2の排出権取引制度のような企業や国レベルの地球温暖化対策にも近い感覚を覚える。

 CO2の排出権取引制度とは、企業や国ごとにCO2の削減目標を設定し、実現できない場合は余裕のある企業や国から「排出枠」を買い取って目標数値を達成するものである。「排出枠」の取引により、国や地球規模でみれば、全体の排出量が減って行くように錯覚するが、実際は国や地域ごとに「排出枠」の設定基準が異なっているため、設定の甘い国や地域に企業が移動して排出量を増やしたり、そもそもこの制度を導入しない大国があったりと、まだまだ課題が多い。

 結局、環境問題を制度で解決するなら、それを運用する人材の育成が重要であることを考えると、改めて景観教育が大切に思えてくる。

 "教育"とは大仰な言い方だが、前稿で例に挙げた京都のように、おそらく幼少期から市中の至る所で名刹の植木や街路樹が手をかけて保全される様子を日常的に見て、その膨大な手間によって町並みが保全されていることを感じ取るだけでも、他所で育った人との経験値に"違い"が生じていると考えられる。

 そして、この「京都の町並み」という景観素材を、首都圏から1時間圏内の最大湖沼「手賀沼のヌマベ」と置き換えて見ると、当会を含む多様な団体が手賀沼周辺で行っている活動や自然体験の取り組みにも、同等の"違い"を生む効果があるのではないか?

 先日、本論へのコメントをお願いしていた当会会員の冨樫道廣さんからお手紙を頂き、ドイツの「Pate Baum」という制度を紹介された。Pateは父、Baumは木の意味で、日本で言う街路樹の里親制度のことだ。市民が街路樹の里親となって、資金や維持管理を支援する。何年か前、我孫子市でも実施されていると聞いた覚えがあるが、どうなっただろうか?
写真1:手賀沼のヌマベ
 冨樫さんはまた、日立アカデミー我孫子キャンパスの正門正面に立つ3本のヒマラヤ杉を初めて見た際、大正初期の(第二次)高等学校令によって出来た(旧制)松本高等学校の正門と校舎を繋ぐ並木が、定番の桜や銀杏でなくヒマラヤ杉だったこと、それが北アルプス連峰を背景とする松本の景観に良く馴染んでいたことを思い出したと記していた。

 さらに研修所の庭園公開をお願いした当時の島貫社長に「このヒマラヤ杉を寄贈したのは松本高等学校の卒業生では?」と質問されたそうだが、「景観」は人々の体験や郷愁が繋がって、広まったり、保全されたりすると考える筆者にも合点の行く話だった。
 旧制松本高等学校の校舎とヒマラヤ杉は保存されているので、是非その美しい姿をご覧頂きたい。

そしていつか「手賀沼のヌマベ」で育った子供たちによって、街路景観や街路樹に関する積極的な議論が交わされる時代が来ることを期待したい。
写真2:景観資源を
掘り起こす市民観桜会
写真3:日立アカデミー
我孫子キャンパスの
ヒマラヤ杉
■P2へ続く
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