我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第115号 2023.5.20発行
発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 中塚和枝
世界の街角景観 −1−  キーウ(ウクライナ)         高 康治(会員)  
  商社マンとして初めて異国の地を踏んだのは、厳寒の1969年1月に訪れた旧ソ連の首都モスクワ。以降もずっと海外に出かけ、1995年7月12日、地球儀のてっぺんに位置する北極点に到達した時には、米国のツアー仲間からワールド・トラベラーという過分の称号を戴いた。以降世界の全ての国を旅し、今もなお鮮明に印象に残っている都市の景観を紹介しよう。

  トップバッターは、昨年2月24日のロシアの軍事侵攻以来、絶えず世界の耳目を集め続けるウクライナの首都、キーウ。2001年7月に筆者が訪れた時の呼称は、ロシア語の発音に由来するキエフであった。「東欧のパリ」と呼ばれ、東スラブ随一の古都としても知られる。モスクワ西方のバルダイ丘陵に源を発するヨーロッパ第3の大河ドニエプル(ウクライナ語名はドニプロ)が、街の東側を滔々と流れる。その風情は情緒たっぷりの国際河川で、黒海に注ぐ。特に夜風を受けながら、哀愁を帯びたウクライナ音楽を聴きながらの遊覧船のナイトクルーズは最高であった。我が我孫子に例えるなら、ドニエプル川は手賀沼のような存在であろう。

  1年以上もロシアとウクライナはお互いに憎しみ血を流す間柄だが、実はれっきとした兄弟国であること、意外に知られていないよう。9世紀にロシア最初の統一国家キエフ・ルーシの首都となったのが、なんとキーウ。以来発展を続け、今や人口は300万人近い大都市。また1500年以上もの古い歴史を持ち、緑豊かで地形的にも変化があり、優美なキリスト教正教会などの見どころが実に多い魅力的な古都でもある。

  街の中心はドニエプル川西岸の高台にあり、いくつもの噴水を湛えたネザレージュノスティ(独立)広場。この広場から約600m北西方向に、1990年にウクライナの世界遺産として初めて登録された聖ソフィア大聖堂を望む。
  キエフ大公のヤロスラブ1世が統治時代の1037年に建てられたキーウ最古の教会で、現在の姿は17世紀後半にウクライナバロック様式で再建された。内部は11世紀のものが残され、豪華な一面のフレスコ画とモザイクに驚かされる。因みに、キエフ大公の廟としても使われる大聖堂内(下の写真1)には、ヤロスラブ賢公の石棺が展示されている。
写真1:聖ソフィア大聖堂の内部

  ソフィア大聖堂と同時に世界遺産登録されたペチェールシク大修道院は、独立広場から南へ3kmほどの町外れにある。訪問時はペチェールスカと呼ばれ、約970年以上もの東スラブで最も長い歴史を持つ修道院。
写真2:ペチェールシク大修道院とドニエプル川
  1051年にギリシアの僧アントニオとフェオドスイが、ドニエプル河岸の洞窟で修道生活を始めたのが起源とされる。川沿いの深い緑に覆われた広い敷地内には、聖三位一体教会、ウスペンスキー大聖堂、大鐘楼、ウスィフスヴィヤツカ教会、トラペズナ教会、地下墓地、ウクライナ歴史文化財博物館など約80の建物がある。特に目を引くのは、高さが96mもありキーウ市内のパノラマが360度楽しめる大鐘楼。239もある階段を登り切ると、眼下のウスペンスキー大聖堂をはじめとする院内の様々な建物は勿論、街の象徴ドニエプル川が眺望できる(上の写真2

  大修道院の入口の門の中にある聖三位一体教会は、院内の大半の教会が18世紀にウクライナバロック様式で再建されたのに対し、この教会のみが 世紀のオリジナルの姿を留める。大聖堂の傍に建つトラペズナ教会は19世紀後半築の比較的新しい教会だが、2人の修道院創設者を祀り、緑のドーム屋根がひときわ人目を引く。広大な修道院の南側にある地下洞窟内の墓地も見逃せない。修道僧が長年掘り続けた地下墓地は2つの系統に分かれ、総距離が2km近くもある。

  ソフィア大聖堂からメインストリートのウラジーミル通りを北東方向に7分ほど歩くとアンドレイ教会がある(下の写真3)。豪放磊落だったと言われるロシアの女帝エカテリーナ2世(1729年〜1796年)のキーウ訪問を記念して造られた教会は、高さ60mの美しいドームを持ち、エレガントな装飾がなされて華やかさがある。この教会から約400m南にある聖ミハイル修道院は、1713年建立のウクライナバロック様式。金色のドームとブルーの外壁が鮮やかで、内部も座席のないシンプルさがむしろ良い。
写真3:アンドレイ教会と筆者
■P2へつづく
キーウ市内図(『地球の歩き方』より引用)
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