我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第116号 2023.7.15発行
発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 大久保慎吾
世界の街角景観 −2−  ジャカルタ(インドネシア)         高 康治(会員)  
  コロナ禍で4年近く中断していた久しぶりの海外旅行は、1979年〜1984年の5年間、商社勤務時代に駐在した懐かしの第三のふるさと?インドネシアを選んだ。

  私事で恐縮だが、戦前生まれ86歳の老兵の生涯は波瀾万丈の一言に尽きよう。大阪で生を受け育ったが、米軍空襲を逃れるため一時期は徳島へ学童疎開したこともあった。大学卒業後は念願通り貿易商社に入り、中東のクウェートとインドネシアのジャカルタで働いた。言わば両国は筆者にとり第二、第三の祖国である。 斯様なインドネシアを今年の2月中旬に1週間旅行し、バリ島をベースにして首都ジャカルタへも出かけ、かつての勤務先(三井物産)事務所も訪ねた。

  インドネシアの主島、ジャワ島の北西岸に位置するジャカルタは、ジャワ海に臨む港湾都市。前回訪問は2003年11月、ゆえに約19年ぶりの再訪になり、その発展ぶりと大変貌には驚きを禁じ得なかった。人口は1,000万人近く、近郊を含む首都圏人口は3,000万人を超えて東京に次ぐ世界第2位。東南アジアはもちろん、世界屈指のメガシティである。

  そんな大都市だが、在住していた40年以上も前の1980年前後には、1619年から1942年までのオランダ支配時代の名残がそこかしこに見受けられた。戦前はバタビアと呼ばれたが、その後「偉大なる勝利」を意味するジャカルタに改められた。特にバタビアの香りがするのが、海岸に近く町の北部に位置するコタ地区という旧市街。コタ・トゥア(古い町)とも呼ばれ、特にファタヒラ広場周辺はコロニアル風の建築様式が多い歴史的な街並みが広がる。とりわけオランダ人が掘った運河に古い跳ね橋が架かる風情は、本国オランダのアムステルダムを彷彿させる(下の写真1)
写真1:コタのはね橋
  また、コタには商売上手の中国系の住民も多く、異国情緒の雰囲気が漂う。しかし、今世紀に入り近隣の現代的な都市国家シンガポールを意識した再開発が急速に進展し、今や超高層ビルが林立する。特に旧市街の南に位置する新市街の発展ぶりが著しく、メインストリートのタムリン通りや、その南に隣接するゴールデン・トライアングルと呼ばれる地区は近代的な街並みが広がる。大企業のオフィス、高級ホテル、大規模なショッピングモール、日本大使館などの各国大使館が集まっており、正にジャカルタの心臓部と言えよう(下の写真2)
写真2:タムリン通り周辺の夜景
  
  市内観光のハイライトは、新旧市街の境目、街の中心部にあるムルデカ(独立)広場が一押し。公園を含めた75haの広さは中国・北京の天安門広場の1.7倍もあり、世界最大級の面積を誇る。シャトルバスに乗り広大な場内を巡ったが、広場の中心に立つ高さ137mの独立記念塔モナスがひときわ人目を引く(下の写真3)
写真3:ムルデカ広場に立つ独立記念塔モナス
  エレベータ-で115mの展望台に登ると、ジャカルタ市内が360度パノラマ展望でき壮観。一方、塔の台座は博物館になっており、ジャワ原人の誕生から1945年の独立に至るまでの歴史などが48のジオラマで展示され見応えがある。また、広場の北側には初代大統領スカルノ(第三夫人は今もタレントとして活躍する日本人のデヴィ夫人)が住んでいたムルデカ宮殿、西側にはインドネシア随一の博物館とされる国立中央博物館がある。

  ところで、読者の皆さん、世界最大のイスラム教国家をご存知? 常識的にはエジプトやトルコなど、イスラム発祥の地に近い中東の大国を思い浮かべるであろうが、実はインドネシアである。人口は世界第4位の2億7,000万人を越え、うち9割近くの約2億4,000万人がムスリム(イスラム教徒)。その総本山がジャカルタにあるイスティクラル・モスク。東南アジアで最大規模のイスラム教礼拝堂で、収容人数は世界3位の12万人。モナスを背にして北東方向を見やると、白いおわん型の屋根が特徴的なモスクが目に入る(下の写真4)

  建設が始まったのは1961年、完成したのは17年後の1978年。近代的な様式の白いモスクは、モナスの展望台でもすぐ視界に入るほど目立つ。異教徒にも拘らず特別に内部見学できたが、巨大な礼拝堂を支える12本の柱は12ヵ月を表わし、静かな大空間が荘厳さを演出する。
写真4:イスティクラル・モスクと筆者

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