| (P1からの続き) 今回調べてみて、よく子連れで利用したパレットタウンや観覧車が、2022年には無くなっていたことを知った。現在はトヨタグループが運営する『TOYOTA ARENA TOKYO』が建設され、バスケットボールチームの本拠地になっているようだ。そもそも借地だったパレットタウンの土地は、2008年に森ビルとトヨタ自動車に売却され、当初はオフィス、コンベンションホテルが一体化した高層ビルが計画されていたが、経済状況の悪化で延期され、その後も計画変更と延期を繰り返しながら現在に至っている。現アリーナには商業施設が併設されるそうだが、苦戦しているようだ。
ところで1990年代前半と言えば、神奈川県横浜市の『横浜みなとみらい21』(MM21)も立ち上げの最盛期を迎えていた。 同じウォーターフロント事業である双方を比較してみる。まず、規模は、MM21の全体面積が186ha(内、埋め立て面積76ha)と、臨海副都心の半分以下である。事業決定が5?6年早かったこともあって、起爆剤としての『横浜博覧会』をバブル景気只中の1989年に行っている。そして、博覧会以降は、オフィス、コンベンションホテル、美術館などが整備され、現在、就業人口が14.4万人。首都圏の観光地・行楽地としても高い人気を獲得している。そもそもMM21の再開発には、横浜駅周辺の賑わいを関内や伊勢佐木町方面へと誘導する目的があった。 一方、無根拠な日本の成長予測以外、臨海副都心に確固たる必然性があったのか?当時はこの手の計画が目白押しで、早稲田大学の大隈講堂を壊してオフィスやコンベンションホテルに造り変える計画まで立ち上り、さすがに疑問を感じた記憶がある。 今見ている『東京臨海副都心』の景観は、1980年代のポピュリズムと政治判断の結果を物語っているのではないか。 |
8-3.近隣のランドスケープ的建築物 ? 築地本願寺・聖路加国際病院・佃大橋
今回の調査では、新橋駅からゆりかもめ線に乗って豊洲駅まで行ってみた。帰りは、有楽町線の月島で下車して佃大橋を渡り、築地本願寺と聖路加(せいるか)国際病院を訪ねた。 筆者は1996〜1998年まで、近所の中央区茅場町に住んでいた。久しぶりに隅田川沿いの遊歩道を歩いて、まずは築地本願寺に辿り着いた。 築地本願寺は■本誌128号で紹介した杉並区の荻外荘(近衛文麿邸)と同じく建築家・伊藤忠太の設計であることから見比べてみたかった。 また、築地本願寺から5分程歩くと、聖路加国際病院の旧館と本館が現れる。病院が面する表通りは『聖ルカ通り』と名付けられた緑豊かな街路で、旧館の「チャペル及び付属する旧病棟」は、東京都選定歴史的建造物になっている。 月島、佃島からこの界隈まで、コミュニティーや人熱れを感じさせる細やかな街並みが続く。改めて埋立地が街になることの難しさ、景観を大きく変える政治の怖さを感じた。 (続く)
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