第7回 歴史景観散策会 
              ―根戸・船戸の古代を知ろう―
                                 松村 定雄(会員)
11月15日(日)に、第7回歴史景観散策会が開催された。前日の雨で順延されたにも拘らず42名の参加者が晩秋の汗ばむほどの好天候に恵まれる中、北柏駅北口に集合した。少し狭い場所での出席者名簿の確認、グループ分け、参加費徴収など手間取りはあったが、梅津リーダーの挨拶のあと、道案内資料などを手に5班に分かれ、9時30分にスタートした。今回は市の最西端から根戸・船戸を経て我孫子駅まで約5kmを古代の遺跡を巡って散策する2時間30分のコースである。

北柏駅前の旧水戸街道を先ず東に進む。静かな旧家の連なる街道を行けばすぐ根戸地区に入り、左側に真言宗東陽寺があり、その向かいにこんもりした小高い森がある。ここに葬頭河婆の木彫が立っている。語り伝えによれば、この婆さんは三途の川を渡った人の衣を奪い閻魔さまに渡す裁き人だったとか、何故こんなところにと訝しい限りである。

隣接する日蓮宗妙蓮寺の参道に沿って進み、国道6号線に出ると向かい側に門柱の立派な北星神社が見える。老木の続く細長い境内を進むと社殿を取り囲む厳かな静寂の佇まいに心が和む思いである。この神社は江戸・天保の頃か、相馬・千葉氏の守り神(北斗七星)に因んで名付けられたとか。丁度七五三祝日で、着飾った子供さん連れの参詣姿を目にし、日本の古き風物に思いを寄せて、ほっとする。

神社の裏手から狭い路地を抜けると台田地区の遊園地風の公園に出た。この真四角の台地は相馬惣領家の中心的居館で、交通の要衝を占め、平将門の拠点の一つ、法花坊遺跡であると解説を受けたが、平坦な芝生のみで歴史の面影を全く残していない程まわりは新住宅街となっている。

芝生で一休みし、会員の準備した飴玉で喉を潤して、家並みの小路をくねくね進んで常磐線の陸橋を渡る。直進する道は急に狭くなり、谷間の山路に差し掛かれば、左右の枯れ木と古竹が散乱して歩行を疎外され、足元注意でゆっくり進むと直ぐに坂を下りきって視界が開けホッとする。手賀沼に続く田園風景の中を「はけの道」に沿って行けば左上に日暮さんの宅があり、玄関先にご挨拶した後、納屋をくぐって裏山に登る。

ここは戦国時代に日暮氏の先代?の根戸氏が築いた城址跡で、土塁と窪地に囲まれた地形を造っている。隣接する金塚古墳は、出土品も多く埋葬者はこの地の有力な武将かと思われ、市の指定文化財となっている。根土城址の櫓台から眼下に広がる手賀沼への眺めを堪能したあと、日暮邸に別れを告げ、斜面寄りの畠道を行くと白壁の目立つ神戸邸に着いた。
散策会コースからスケッチ
散策会コースからスケッチ

この神戸邸は白壁塀、大樹林、湧水を対象に第三回景観賞に選ばれているが邸内には入れず、ここで集合を掛けた。というのもすでに予定の終着時間を過ぎているので、この後の予定訪問地(元根戸新田名主邸跡、白山古墳群と嘉納治五郎農場跡)を割愛し、船戸の森公園から白山馬頭観音堂を経て我孫子駅に向かうことになった。

神戸邸の角を左に坂を登り、武者小路実篤邸の手前から船戸の森公園の広大な林間路に入る。ここは元プラチナ万年筆社長の別荘跡?という人もあるとか。今日の散策の疲れを癒す森林浴をゆっくり楽しみながら、小さな坂路を上り下りして白山の住宅街を経て馬頭観音前広場に到着した。この馬頭観音は馬の守護仏と考えられ、頭上に馬頭を載せている。当時の旅人は、このお堂を我孫子宿に入る手前の目印としていたそうである。

この地点で全員揃って無事着いたことを確認し合い解散することになった。希望者を募りケヤキプラザ11階のレストランで手賀沼を展望しながらの昼食会に向かって帰路に就いた。約3時間の歴史を訪ねての散策を楽しんだ1日であった。

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