我孫子の景観を育てる会 第27号 2008.7.19発行
シリーズ「我孫子らしさ」(4) 我孫子らしさ〜都市と景観の構造〜            戸田 惣一郎(会員)
景観あびこの紙面では、高野瀬さんの問題提起をうけ、「我孫子らしさ」について議論されている。「我孫子らしさ」は、「我孫子は、他とは違うんだぞ」ということを表現する便利な一言である。しかし、それが具体的にどんなことかとたずねられると、漠然としていて、つかみどころがない。おそらく、切り口をしぼって、独自性は何かと具体的に掘り下げていくことで、少しずつ見えてくるものなのだろう。それには、日常に埋もれた「我孫子の持っている良いもの、宝物を見つける」作業がかかせない。本稿では、都市と景観の構造を切り口に、我孫子での日常生活の記憶から「我孫子らしさ」、我孫子のアイデンティティを探りたい。

私が我孫子を離れて3年目になる。今我孫子のまちを想うとき、一番に思い浮かぶのが、手賀沼と坂である。通った頻度でいえば、毎日のように使ったJR常磐線の天王台駅の方がずっと多いはずなのだが、我孫子から連想するのは、住宅地から坂道を下り、手賀沼へと移り変わる景観のイメージである。いわばこれが、私が感じている「我孫子らしさ」なのだろう。

久しぶりに我孫子市の地図を開いた。学生時代、私が住んでいたのは、天王台3丁目、JR成田線の東我孫子駅の近くの、落ち着いた住宅街の一角であった。当時は、書籍の調べものに、自転車に乗って市民図書館に通ったものである。アパートを出て国道356号線を西に向かい、天王台駅入り口の交差点から南に入り、曲がった坂をいっきに下る。手賀沼沿いの道に出れば、がらりと視界がかわる。視界に広がるのは北側斜面に広がる緑と南側の畑や水面だ。この道をひたすら西に進めば市民図書館に至る。夕暮れ時には、途中の手賀沼親水広場に立ち寄り、夕日に染まる手賀沼に見とれたこともあった。お気に入りのサイクリングコースだった。
我孫子は、居住エリアと親水エリアが緑地と高低差を介して近接するコンパクトな都市構造である。天王台駅のあたりから南北軸で断面をとると、天王台周辺と手賀沼周辺の間には高低差がある。天王台周辺はちょうど台地の上で、日立総合経営研修所の庭園のあたりから斜面を下り、手賀沼周辺は低地となる。土地利用形態も特徴的だ。大雑把にとらえれば、天王台周辺は住宅地が広がり、日立総合経営研修所のあたりから斜面緑地になり、手賀沼周辺は水辺に沿って畑が広がる。こうした都市構造の変化、景観構造の変化が、ほんの1kmから2kmの間に起きる。これがなかなかおもしろい。もちろん、それぞれの単体に良いところが散りばめられているのだが、自転車に乗ってほんの約10分移動する間に視界が一変することに、いっそう魅力を感じたのである。

しかし、過去と比較すれば、特徴的な都市構造は、大分あいまいになってしまった。特に、60年前の航空写真からは、手賀沼を取り囲む豊かな斜面緑地の帯が見て取れるのだが、開発が進んだ現状ではまばらだ。手賀沼への眺望を楽しめる場所も限られている。我孫子市は、「"水と緑の縁どり"と"人々の営み"が共生する景観の形成」を景観形成の骨格とし、都市構造を生かした景観づくりを目指している。「人々の営み」が「水と緑の縁どり」を侵食し、境界をあいまいにしている現状において、「水と緑の縁どり」を再生するためには、必要に応じて「人々の営み」をコントロールしなければなるまい。

ケヴィン・リンチは、著書「都市のイメージ」のなかで、都市は人々によってイメージされるもので、イメージされ易さ(イメージアビリティ)を高めることが、美しく楽しい都市の要件であると指摘した。我孫子の特徴的な都市と景観の構造は、イメージアビリティを高める上でも、大きな強みになる。そして、「都市のイメージ」が我孫子に住む人、訪れた人に広く共有されることが、都市としての我孫子らしさ、我孫子のアイデンティティにもつながるのではないだろうか。
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