我孫子の景観を育てる会 タイトル 第31号 2009.5.16発行
発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
編集人 飯田俊二
シリーズ「我孫子らしさ」(8) −我孫子音痴からの脱却を目指して−       佐々木哲明(会員)
我孫子に転居してから、今年で31年目を迎えました。私の父は国家公務員でしたが、リタイアを考える時期になり、長年の公務員宿舎暮らしから自分の家を持つという転進を図る時期にあたり、たまたま父親の職場と私の職場がどちらも千代田線の沿線にあったため、「我孫子」への転居を決断することになりました。特に同居人として行動を共にせざるをえない私からみると、「我孫子」との出会いは、まったくの受身であり、日本の西半分でしか暮らししたことのなかった私にとって、名前も聞いたことのない「我孫子」への突然転居は運命的にすら感じました。

転居してきてからも、都心で働き、深夜に寝るために帰ってくる場所という生活が30年以上続いたため、相変わらずの「我孫子」音痴状態のまま。そんな時に、自分自身の生活に一大転機がやってきました。現在の世界的な経済危機という混乱が起きる直前に、職場を早期退職してしまいました。いきなり退職されてしまった職場のほうも少し面食らったようで、1年間は非常勤職員として席をおいておき、ソフトランディングすることで、了解されました。私なりには、いくつかの理由と夢があったのですが、周囲の人たちからはその後に起きた世界的経済危機を先取りしたような自爆行動の間の悪さには、首を傾げられたままでした。

医療分野の情報システム化という領域で長年仕事をしてきましたが、「地域」を忘れて医療システム(医療制度)や情報システムの側面からのみ問題解決を図ろうとするケースが目立ちます。そうした一例が救急患者のタライ回しや感染症対策ですが、これらの社会問題は、一時は完全に解決済みの課題として忘れ去られ、現在はこうした問題から厳しい逆襲を受けているわけです。社会システムを軽視したツケですね。

とにもかくにも、私は残りの人生生活の場を「我孫子」という地域で暮らそうと決めました。今さらの転居も面倒で、特別に気に入っているわけでもありませんが、何となくこうなる運命だったのかなと妙に納得しています。
そう考えた時に、気にかかったのが「我孫子音痴」(地域音痴)ということでした。それが、「我孫子の景観を育てる会」に入会して、とにかく「我孫子」を体験して知ろうと考えたきっかけです。

興味あるテーマに事欠きませんが、私が今関心を持っていることの一つに我孫子の地名があります。我孫子(あびこ)という地名もそうですが、中峠(なかびょう)、日秀(ひびり)、都部(いちぶ)、岡発戸(おかほっと)、下ヶ戸(さげと)などという珍しい地名の呼び方は、「我孫子」を知るための入口のように感じられます。この入口から、そっと我孫子の歴史を覗いてみたいと思います。

もう一つ、会員になって地域を眺める視点が変わったことに、街の美化があります。自分の住居や周辺を美しくすることが、街全体の美化へのスタートラインだという言葉は耳が痛いと感じましたが、その意味が最近ほんの少しだけ分かってきました。

我が家の庭には、乱雑に何種類かのバラが植わっていて、一応玄関脇にはアーチを作っているのですが、こまめな手入れの悪さから、2種類のツルバラがアーチの形を崩すばかりに成長してしまっています。最近、このアーチについて通りがかりの面識のない人たちからよく話しかけられ、世間話もするようになりました。バラが地域のコミュニケーション作りに自然に一役買ってくれているのを感じています。

アーチのバラも、ナニワイバラがそろそろ終わり、今度はボニーが咲きます。また、通りがかりの人たちとの立ち話に話題を提供してくれることを楽しみにしています。
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